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第1回
「私たちの幸せな時間」
第1回
「私たちの幸せな時間」

 人は一生のうち、どれだけの映画を観るのでしょう。一本? 二本? そんな少ないわけはなくて、百本なんて少ないほうで、何千本も観ている人だっていそうです。それは見過ぎでしょう。映画館にみずから足を運んで観るのが一番よ、という人もいるでしょうし、ビデオやDVDでいいから自分の家で気兼ねなく観たいわ、という向きもいらっしゃるでしょう。あなたの韓国映画鑑賞本数は何本ですか?

 と、人様に訊くわが身を顧みると、巷の韓国語講座の講師をしているくせに無駄に爽やかな筆者は、これまで観た韓国映画、韓国に限らなくても映画を観た記憶がほとんどありません。テレビすら自宅にない筆者はビデオなりDVDを観るということもありません。こんな罪のない人間に向かって、韓国の映画を観て何かほんわかした文章を書け、と注文する編集者は何を考えているのでしょう。その悪辣さと度胸の良さと度量の広さに筆者の心はほんわかしてしまいました。せっかくなので読者の皆さんにも、映画音痴の(と言うより映画知らず。俳優の顔と名前さえ知らない)韓国語講師が観た映画を通じて、ほんんわかをこれから毎号お届けしたいと思います。届けてくれなくてもいいとおっしゃっても、お届けしますので無理にでもほんわかを読みとってほしいと思います。

印象的なセリフに気をとめるためにネタバレに気をつけないコラム 第1回「私たちの幸せな時間」  さて、編集者から送りつけられた今月の映画は、現在公開中の『僕たちの幸せな時間』です。カン・ドンウォン、イ・ナヨン主演の、死刑囚恋愛物。こんなジャンルはありませんが、そういう内容ですからしかたありません。ほんわかしたお話にしたいのですが、暗いです。実にもって、徹頭徹尾、暗い。哀しくて、やりきれなくて、救いがあるんだかないんだか、どこに光を見いだして良いのやら判断に困るくらいに、この映画は暗いです。兄弟して親に捨てられ、乞食になって(弟は後に地回りのヤクザに殴られて死にます。不覚にも筆者はここで涙ぐみました。子供を死なすのは卑怯だな)、その後幸せをつかみかけるも、カン・ドンウォンはひょんなことで人を刺して、とっ捕まります。そして死刑囚。死刑囚ですものね。死にますよね、カン・ドンウォン。韓国の国歌を泣きながら歌って「무서워, 애국가 불렀는데도 무서워 ムソウォ, エグッカ プルロンヌンデド ムソウォ 怖い、愛国歌、歌ったのに怖いよ」って、ガコン。首くくられて死にます。ああ。

 イ・ナヨンは暗いというより、傷ついていて痛ましいです。高校一年の時に、女性としては最も被りたくないと思われる性的暴力にあって(それが従兄からだというのも救いがない)、母親は逆に娘(イ・ナヨン)を責めて、世間体からイ・ナヨンの口を封じます。娘としては人間不信に陥ってアナーキーにピンピンとがってしまうわけです。イ・ナヨンは何度も自殺未遂を繰り返しています。痛々しいわけです。救いがない。観ていて苦しい。つらい。

 でも、本編中にほんわかがないわけではありません。ささくれだって投げやりになっている田舎者の死刑囚であるカン・ドンウォン、見るもの触るものすべてを突き刺すようなイ・ナヨン。イ・ナヨンの叔母さん、モニカ修道女の引き合わせで、二人が週に一回、面会する時間が続く中で、二人の心のベクトルが交わりはじめます。人生あきらめモードで死にたがりの二人でしたが、カン・ドンウォンは「사는 게 지옥 같았는데... 살고 싶어졌습니다 サヌン ゲ チオク カッタンヌンデ サルゴシッポジョッスムニダ 生きているのは地獄みたいだったけど……生きたくなりました」とまで心の向きを変え、イ・ナヨンは自分を庇いもしなかった憎むべき母親に「엄마, 죽지 말란 말이야! オンマ, チュクチ マルラン マリヤ お母さん、死なないで」と涙を流しつつ、病気になった母親を許します。これだけつらいことだらけの人生の中で、よくもまあそこまで立ち直ろうという気になるものだ、というのは、ほんわかではありませんが、ストーリーの必然ですから良しとしましょう。また、食事中に死刑執行の呼び出しがあって、最後まで食べてもいいかと頼んだカン・ドンウォンが、ご飯粒にむせて「……チュグルポネンヌンデ ……死ぬとこだった」という本編唯一のギャグも、ほんわかと言うより涙を誘いますが、これもおくとしましょう。

 では、この映画のほんわかは何か。『僕たちの幸せな時間』は、ずばり、「アイドル映画」、これです。これがこの映画に求めることができるほんわかにほかなりません。そう思って観ると、『僕たちの幸せな時間』は、まことに上質のアイドル映画と言えるでしょう。
 カン・ドンウォンにしてもイ・ナヨンにしても、筆者が物知らずなだけで、実績も実力もある演技派俳優(だそう)です。おまけに華がある。美男美女という一番低い次元の意味からしてもカッコイイ。醸し出す雰囲気も常人のものではありません。また演技もたしかに上手い。本来アイドルに実力は不要ですが、これはアイドル映画の質を左右するものではありません。彼、彼女の持つ華のある雰囲気。アイドル映画ですから、アイドルが必須です。カン・ドンウォン、イ・ナヨン、彼らはもう立派なアイドルでしょう。そして、それにも増してアイドル映画に欠かせないのが、脇役の上手さです。アイドルをアイドルたらしめる脇役。脇が固まっていないと華が華として際立ちません。モニカ修道女役の人(この人の台詞の発音が一番明瞭。宗教人の優しさと傲慢さとしたたかさは、さすがシスター)、死刑囚仲間のオ・グァンノク(善人を貫き通すとこういうイメージになるという役作りが上手い。でも死刑囚)、刑務所(韓国語では「矯導所」)の刑務官や囚人役の面々。上手い。いるいる、こういうヤツほんとにいるよなあ、というこちらのイメージどおりに演じつつも、それを少しだけ斜め上に外して演じることで、脇役としてのリアリティを出すという高等技術は至芸と言えましょう。カン・ドンウォンに向かって「사형수라고 오냐오냐 대접 좀 해주나 본데 サヒョンスラゴ オニャオニャ テジョプ チョム ヘジュナ ボンデ きさまは死刑囚だからってちやほやされてるけどなあ」と言う模範囚の憎々しさは貴重です(すぐ後にカン・ドンウォンにボコボコにされます。カン・ドンウォンは懲罰房送り)。こういう脇役に支えられるだけの華がある主演の二人も、やはりアイドル、見事です。練り込まれたストーリーや丁寧なカメラワークではなく、俳優が俳優らしく演じる姿で成り立つ俳優の映画。アイドル映画として実に見事な成功例です。日本ではとうの昔にすたれたジャンルでしょう。もしかしたら今はVシネマ界に残存している可能性があります。韓国映画、侮れません。誰も侮っていませんね。失礼しました。

 最後は首ガコン、で死にますが、人生の最期で「幸せな時間」を持つことができたことを、ほんわかとすら思わせるカン・ドンウォンの芸に、筆者はほんわかしました。他の俳優では、ほろり、または号泣、あるいは怒りを呼ぶところです。さすがはアイドル、カン・ドンウォン。見終わってから涙ぐみながら、それでも冷静に考えると、死んじゃおしまいだよと当たり前のことを考えて、そして残されたイ・ナヨンのことを考えたら、冷静ではいられなくなりました。筆者はこの映画がすこし好きになったかもしれません。好きにはなったのですが、次はあまり暗くない映画にしてほしいと思います。それと、カン・ドンウォン、慶尚道の訛り、上手だなあ。練習したそうですが、なかなかどうして堂に入っています。おかげで筆者はカン・ドンウォンの台詞の三分の一は書き取れませんでした。韓国語講師としては少し照れくさいのですが、そういうものです。

(『Brand-new KOREA』2007年6月号掲載)

初級までの朝鮮語・初級から先の朝鮮語 文・イラスト ◉ 白宣基 ( 백선기 ペク・ソンギ )
韓国語学習サイト「初級までの朝鮮語・初級から先の朝鮮語」の管理者、韓国語クロスワードパズル作家、在日本韓国YMCA韓国語講座主任講師。少し的を外した視点がかえって的を射ているという授業を得意としている。
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