연상연하 年上女性と年下男性のカップル
年齢を表す語としては 나이 が主たる語であり、
・나이를 먹다 年を食う
・나이가 들다 年を取る
・나이가 어떻게 되세요? おいくつですか?
のように使われる。
尊敬語としては 연세 [ 年歳 ] が一般的で、
・연세를 드시다 お年を召す
という対比となろう。尊敬表現には 춘추 [ 春秋 ] もあるが、格調が高過ぎて、とんとお目にかからない。
연령 [ 年齢 ] は何かしら履歴書や職務経歴書、統計などで使われる香りがする。
関連表現として、
・나이(연세)가 많다 五十代とか六十代とかまあまあ年配だ
・나이(연세)가 높다 同上
・나이가 적다 かなり若い、もしかしたら十代
・나이가 어리다 幼い
などがある。
さて、本題の 연상연하 [年上年下] である。
字義どおりなら単なる「年の差カップル」という解釈でよさそうなものだが「女性のほうが年上、男性のほうが年下」に限定された意味で通用している。
これはもう、逃げも隠れもする気がない男性優位社会の意識の表れであろうと敢えて言い切りたい。カップルというのは男女のもの(「男女」のように「男」が先に来ることからしてすでに男性優位の思想が前提化されているし、性自認と性指向のことも考慮外である)、男が年上なのが当たり前という社会であるからこそ、わざわざ「 연상연하 」と言うということは、女性のほうが年長であることを示す以外の意味が無いわけである。
「 연상녀 연하남 커플 」という説明的な表現が先にあって、その後次第に縮まって「 연상연하 」として定着したと見てほぼいいだろうと思われる。辞書には載らなくても、これはもう今後消えないのではなかろうか。知らんけど。
管理者が 연상연하 と聞いて真っ先に思い浮かべたのは、かつて日本のプロ野球チームであるスワローズとジャイアンツにも所属していたペタジーニ氏であり、友人の母親と結婚したというのは有名である。そういえば、フランスのマクロン大統領は学生時代の先生と結婚したんであったっけ。皆に幸あれ。
회베(회배/헤베) / 루베(루배) 平米(へいべい)、立米(りゅうべい)
良いも悪いも、とにかく浸透して外国語だっていう意識も無くはないけれど薄らいで、現場では日本語由来の言葉が業界用語として定着していることも多い韓国。
広さを表す単位の基準として
m2 は 회베(회배/헤배) で通用しています。平米(へいべい)の日本語読みが入り込んだまま定着しちゃったんでありましょう。
体積(容積)についても同様で、
m3 は 루베(루배) です。立米(りゅうべい)が元ネタなのは明らかです。
もちろん、数学や世間一般では、평방미터 [ 平方メートル ] や 제곱미터(미터제곱) 、입방미터 [ 立方メートル ] や 세제곱미터 のような言い方のほうが広く通用しています。あ、2乗は 제곱 、3乗は 세제곱 です。
「国語醇化 국어순화」というスローガンを掲げて、韓国語に入り込んだ外国語を、固有語を中心とした語に置き換えようとする韓国の国語政策当局の気持ちはわかりますが、にもかかわらず、회베 と 루베 はおそらくは建築業界を中心に生き残って来ました。これからも生き残っていくような気もします。
눈 호강 / 눈요기 目の保養、眼福
いやあ、眼福、眼福(がんぷく)。目の保養だなあ。
美しい物を見ること、美しいものを見た時の気持ちを表すのが、눈 호강 と 눈요기 。
눈 は「目」。호강 は「裕福で快適な暮らしぶり」。요기 は漢字語で [ 療飢 ] 、空腹を癒すこと。なんとも即物的な表現である。
景色や好きなアイテムを見れば、気分も上がる。そして、호강 と 눈요기 には性的なイメージ、も伴うことを忘れてはいけない。とくに女性の性が。日本語の「目の保養、眼福」だってそうであるが如し。
「 눈 호강 」で検索してみるがいい。これが男性にとっての「目の保養、眼福」なのだなあとわかる画像が出るわ出るわ。女性の着衣画像が多いが、細マッチョな男性の裸の上半身も多い。これが「目の保養」かあ。なるほどなあ。
「 눈요기 」となるとさらに性的な度合いが強くなり、検索に引っかかる画像はほぼすべてが女性の下着姿である。
人によっては猫の動画が 눈 호강 または 눈요기 ということだってあるはずなので、フレキシブルに使いたい。
눈 호강 は分かち書きして、눈요기 はくっつけて書くのが一般的。
ちなみに、귀 호강 もあって、こちらは「聞いて心地よい言葉や話、音楽」という意味。
진도가 못 나가다 進みが悪い、進度が遅れる
授業の進度が予定より遅い、進みが悪いことを「진도가 못 나가다」と言う。
진도 は [ 進度 ] で問題無し。
問題は 못 나가다 の部分か。
못 は学習書では俗に「不可能」と簡単に片付けられることが多いが、より正確には「十分にできない、基準に達していない、全部は無理」である。「더 못 먹어요.」は「もう食べられないです」だが、そのココロは「けっこう食べたけど、完食は無理」ということで、オール・オア・ナッシングではないのがポイントだ。文型一覧の
Ⅰ -지 못하다 を参照されたし。
나가다 もふつうは「出て行く」と訳語のみで片付けられがちである。意味としては「外部へ移動する、前へ進む、マーケットに出回る、社会に出る|物が壊れたりしてダメになる」など使用範囲は多岐にわたる。「物事が進捗する」という意味でも 나가다 は使われるので「진도가 못 나가다」で「想定よりのろのろペースで進んでいる、予定より進みが悪い」ということになる。
진도 は恋愛でも使うんですぞ。「남자가 진도 못/빨리 나가면 여자한테 질리나요?(男の人って、進みが遅いと/速いと女に嫌気が差すんでしょうか?)」などという恋愛相談を見受けたりする。
恋愛の各段階における手順をすっ飛ばすのは「진도를 빼다」と言う。
분신사바 コックリさん
「コックリさん、コックリさん、どうぞおいでください」。
やりませんでしたか? 鉛筆なり十円玉なりを使って、二人なり三人なりで、小学校とか中学校の時にやってませんでしたか? 誰それさんの好きな人は誰ですか? きゃあ♡
知らない? じゃあ、キューピッドさん、守護霊さん、それとも分身さま? いろんな呼び名がありましたね。
西洋のテーブル・ターニング、ウィッチボード、ウィジャーボードが明治時代あたりに日本に紹介されて、宗教的な詐欺にも、お手軽カジュアルな占いにも利用されたりしつつ、時を経て昭和の後期、1970年代には日本で良くも悪くもブームになりました。『うしろの百太郎』なんて漫画もありました。お、懐かしいですか?
いつのころかは不明ながら、これが韓国にも流入します。韓国では 분신사바(プンシンサバ)という呼称が支配的なようです。おそらくは「分身さま」という呼称が定着したのでしょう。そういえば、映画もありますね。(『분신사바』2004、『분신사바2』2014)
呼び出しの呪文(?)の文句は「분신사바 분신사바 오잇데 구다사이(プンシンサバ プンシンサバ オイッテ クダサイ)」あたりがスタンダードなようです。1970年代に日本の小中学校で流行った「〜さま、〜さま、おいでください」を踏襲しているであろうことから、韓国への流入は戦前に遡るほど古くもないはずです。1990年代あたりでしょうか。リサーチが必要ですね。
それはさておき、분신사바(プンシンサバ)の사바(サバ)、ここですよ。これは発音における「出渡り」という現象であります。マ行がバ行に、ナ行がダ行に寄ってしまうという発声上の変化のことです。日本語にもありますよ。「寒い(さむい→さぶい)」なんて言いますよね。これです。
朝鮮語を聞いていて、「あれ、네 がネーって聞こえないや。デーって聞こえる」と思ったことはありませんか? 良いんですよ、そう聞こえても。耳はおかしくありません。その朝鮮語母語話者は「ン
デー [ n
deː ]」と発音しているのでありましょう。
「〜さま [ sama ] 」を「 [ sama → sam
ba → saba ] 사바」と受けてしまったからこそでしょう、「분신사바 は [焚身娑婆] である」というオドロオドロしく、かつ無理矢理な解釈も散見されます。「婆」は [ 파 ] ですので、ちょっと無理矢理です。いろんな無理矢理が「분신사바」にはこめれらています。コックリさんそのものより、ずっと味わい深いなあと思います。
괴짜 変わり者、変人
あっち側に行ってしまって意思の疎通が困難だというほどではないものの「あの人ってさ、ちょっと何ていうか、アレだよね」と、半ば嫌悪し、半ば一目置き、半ば畏怖し、半ば面白がりつつ(半ばが四つもあって200%になってしまったが他意はありません)、距離を置きたくなるかもしれない、そんな人のことを 괴짜 [ 怪− ]と言う。
変わり者、変人、ケッタイ(←怪態)なヤツくらいの、辞書にもちゃんと載っている語だ。へんてこりんな品物も指す。
ところで、괴짜 の 짜 だが、これもれっきとした漢字語で「字 자 」を発音通りに「 짜 」と表記したものなのだ、ろうと思われる。思われる、と腰が引けてしまった。辞書には「 괴짜 [ 怪− ] 」と記載されており、짜 の部分は固有語扱いになっているからだ。ここはひとつ、「 字 자 」→「 짜 」ということで話を進める。
日本語でも、そのものずばりを言わずに、「〜の字」のようにぼやかした婉曲な言い方がある。良い例が思いつかないが、唯一思い出したのが「ホの字」だ。惚れるの「ホ」の字。「あなたにホの字」なんて最近は言わないが、言わなくても表現自体は存在している。他にも即物的に「大の字に寝っ転がる、親子三人で川の字に寝る、コの字やロの字に机を並べる」などもある。
朝鮮語ではこの「〜の字 〜짜」の表現が日本語より多彩だ。多彩だがこの欄は辞書ではないので、まずは使えそうな「 〜짜」として、タイトルの「괴짜 変わり者、変人」のほか、「진짜 [ 真− ] 本物、本当に」「가짜 [ 仮− ] 偽物、パチモノ」「 공짜 [ 空− ] タダの物」「 날짜 日付」を挙げておく。あと使えそうなものというと、「 초짜 [ 初− ] 経験の浅い新米、駆け出し」なんてどうだろう。詳しくは下記検索ページを参照されたし。짜 で終わる二文字の語をワイルドカード検索したものである。
「
'*짜'의 검색결과 : 네이버 국어사전」
ちなみに管理者は「저런 사람을 괴짜라고 그래요. ああいうのを 괴짜 って言うのよ」と目の前で聞こえよがしに言われたことがある。真偽はどうなのか、管理者に判断するすべはない。
청산유수 立て板に水
弁舌爽やかなことを日本語では「立て板に水」と称するが、この比喩はどこかしら、口先だけで中味が無いようなイメージを喚起させなくも無いような気もする。ペラペラ喋っているけれど、よく聞いてみれば、または、その音声を文字に書き起こして整理してみれば、ほんの二言三言くらいで済むようなことを、ああだこうだと舌も滑らかに言葉を繰り出すことができるのも、また一つのタレントなのかもしれない。
朝鮮語でこの「立て板に水」に当たる表現として、辞書には청산유수 [ 青山流水 ] が載っている。なるほど、緑濃き山肌を流れる清水の如くとはいかにもだ。
さて、この청산유수がネガティブな表現なのか、はたまたポジティブな表現なのか。
朝鮮語お上手ですね。まるで청산유수ですね。こう言われたら...素直に嬉しがっていいのかな、どうかな。あまり深読みしないで、ありがとうございます、まだまだです、と大人の謙遜をしておけば良さそうな気もするし、あんたは口先ばっかりの人間ね、と暗に揶揄されているような気もするのが気になる管理者。そもそも面と向かって上手だとか褒めてくれる人もいないことが悔やまれる。
「그분이 한국에서 단기 어학 연수 받으셨다는데 말을 유창하게 하시더라고요. 청산유수세요. さっきのあの方、韓国に短期で語学留学してらっしゃったそうだけど、すごく流暢にお話になってましたよ。立て板に水ですよ」という、朝鮮語話者講師による朝鮮語学習者へのコメントを耳にしたことがある。この場合は、特にくさしているわけでもなさそうだが、その後には「그래도 어휘가 약간 부족하시더라고. でもちょっと語彙が不足してたかな」という付け足しがあったのが印象的である。少ない単語でも立て板に水の弁舌は実現できるんだなあ。
ちなみに、管理者は面と向かって「あなたの言うことには内容がありませんね」と朝鮮語話者から流暢な日本語で言われたことがあることを付け加えておきたい。
빠부심 ファン魂
好きなアイドル(俳優、歌手)のためなら、たとえ火の中、水の中は、さすがにちょっと無理でも、好きな 오빠(お兄さん。転じて好きな対象。ただし女性から)アーティストが出ている番組や雑誌ならやっぱり買っちゃう。そんなファン気質はおそらく世界共通、世代共通。
日本語も多いが、朝鮮語は略語が多い。頭文字なり末尾の一音節をとってくっつける式のやりかたは至極当たり前のものなのはご存じのとおり。この 빠부심 も、오빠 + 부심 [ 腐心 ]
を組み合わせたもの。오 が抜けてるのがニクいですね。
こんなファン魂を持った女の子のことを 빠순이 と称する。俗に言う「追っかけ、グルーピー」でもあろうか。순이 は朝鮮における女性の名前のバリエーション。さしずめ「花子ちゃん、ハナちゃん」的な古風な趣がある。女子たるもの男子に従順であれという考えがあった時代、순 [ 順 ] は女性の名によく使われていた。末尾の 이 は愛称的な接尾辞。
いつも思うことながら、こういう省略、圧縮は気持ちはわかるが学習者泣かせなのではないだろうか。でも、いいんです。あたし、朝鮮語が好きだから。빠부심 ってこういう気持ちなんだろうなあ。ちなみに 빠순이 の男性版は 빠돌이 。「石」の下に「乙」と書いてそのココロは「 乭 돌 」。朝鮮の国字である。これも古めかしく田舎くさい感じをにおわせたい時に作品の登場人物に使ったりする。「吾作、石松」とかなんとか、そのあたりではないか。すると管理者は朝鮮語の 빠돌이 か。ちょっとそれもイヤかも。
완전 귀엽다〜 もうっ、カワイイ〜
완전[完全]하다 という形容詞がありますね。완전히 と副詞形でよく使われます。そのココロは「完全に、すっかり」です。
それはいいのですが、この 완전히、どうも日本語の「完全」よりはもうちょっと守備範囲が広い感じがいたします。
管理者の勤務先の事務室の窓口に、なぜか「
幸せの黄色いてるぼう」がぶら下がっております。これを見た、おそらく二十代半ばと思われる女性の朝鮮語話者が開口一番「완전 귀엽다〜」とおっしゃいました。もうほんとにカワイイわあ、というその気持ちが伝わってくるんですね。
これが「幸せの黄色いてるぼう」
ここでハタ、と考えるわけです。완전히 ではなく、もうそれこそ完全に名詞として使ってるんだなあ。そして、「完全に、すっかり」「完膚無きまで、何から何まで」という、それこそ「完全」という語義を正しく使っているんだなあ、と。辞書的には「完全に、すっかり」という訳語がつけられることが多いはずですが、辞書の訳語にとらわれちゃいけないんですよ。
管理者も「완전 멋지다〜 ステキだわ〜」とか言われてみたいものですが、誰も言ってくれないので、ここでこうやって言っているわけです。こういうのを「완전 바보네. バカ丸出しね」と言うのです。
あくまで一例報告に過ぎませんので、ご自分でお使いになって相手の反応を確かめるのが「使える朝鮮語」のコツ( 관건 [ 関鍵 ] )ですよ。
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챔! そうだ!
そうだ! そういえば冷蔵庫にお歳暮でもらったビールがあったんだ!
ビールはともかく、何か思い出したり、思いついたりした際に口をついて出る朝鮮語の間投詞として 참 がある。「まことに、じつに、とても」という強勢語としても使われるこの 참 、しばしば表題のように [ 챔 ] のように発音され、챔 と書かれることもある。丁寧さを基準としたスピーチレベルという観点から見ると、いささか丁寧さに欠けるような気がしないでもない。
なぜなの、どうしてなの、と管理者を問い詰める、ないしは責めることはしないでくださるとありがたいのだが、朝鮮語全般に「とにかく母音のㅣ[ i ] がくっつきたがる」という癖、傾向、偏り、性質がある。
・カビ 곰팡이 → 곰팽이
・何らかの職人さん 〜장이 → 何らかの性質を持っている人 〜쟁이
・作る 만들다 → 맨들다
など、恥ずかしながら今この場で思い出したものだけだが、精査すればもっとたくさんあると思う。
あっ、そうだ(このようなときに 참 なり 챔 なりを使うのだが)、「いくつの〜」を表す 몇 もそうであろう。몇 [
mjɔt ] を [
met ] と発音する人は意外に多い。[
mjɔt ミョッ ] → [
mjet ミェッ ] → [
met メッ ] のような推移だろうかと勝手に論を進めてみるが確証はない。確証はないが、現実の現象として存在するのは確かである。
いかにもナマの会話ですよ、という雰囲気を醸し出すためか、特にコミックなどでは正書法に則らない表記を多く見かける。分かち書きがいいかげんだったり、子音や母音が思う存分変化していたり。当然、そのまま辞書で調べても載っているわけもなく、途方に暮れる。そんなときは、例えば、母音ㅐ だったら ㅏ にしてみる、母音が ㅗ なら ひっくり返して ㅜ にしてみる、激音や濃音で書いてあったら平音にしてみる、などの処理を施してみると、調べるとっかかりになることも少なくない。
참 には「...もう、まったく(ため息)」という使い方もあり、そのココロは「まったくしかたないな」である。本稿のようにまとまりの無い文を読んだあとの皆さんの気持ちと一致するであろう。しかし、あきれ、あきらめ、不甲斐なさを感じるのは皆さんだけではない。管理者本人もまったく 참 同様であるのが管理者の憎めないところだ。
남대문 社会の窓
あの...開いてますよ? え? あれ? ははっ、こりゃ失礼。
男性のズボンの前チャックの閉め忘れを教える俗語として、日本では「社会の窓」、韓国では「 남대문 [ 南大門 ] 」を使用する。
「 동대문 [ 東大門 ] 」ではなく、ここはやはり「 남대문 [ 南大門 ] 」でなければならない。なぜなら、女性のズボンの前チャックの閉め忘れ状態を指す俗語「 여대문 」 とセットになっているからだ。
여대문 すなわち [ 女大門 ] 。そんな門は無いのだが、남대문 [ 南大門 ] → [ 男大門 ] ⇔ 여대문 [ 女大門 ] と洒落てみたわけだ。心温まる良い話だ。
「あの...開いてますよ?」と指摘するなら、「저..., 남대문이 열렸어요. 」となる。動詞 열리다(ひらく、あく)を過去形で使うのは、過去 Ⅲ -ㅆ- に「その時現在の状態:〜している、〜なっている」という意味があるからだ。「結婚している(独身ではない)」状態を 결혼했다 と言うが如し。
「社会の窓」のほうはラジオ番組のタイトルに由来するそうだが、 남대문 がなぜ男性のズボンの前チャックの閉め忘れ状態を指す俗語となり得たのか、管理者は寡聞にして知らない。不甲斐ないことである。まるでズボンの前チャックが開いているような気分だ。
このままでは 동대문 [ 東大門 ] の立場が無い。
日録にて捕逸を行ったのでそちらも参照されたい。
바바리맨 バーバリーマン
ほらっ、これを見ろっ! 見るんだっ!
...管理者にそういう趣味はなく、実際に遭遇したこともないが、ロングコートの下は裸体、という男が街角に出没することがある。つまり露出狂である。
韓国にもそのテの男はおり、これを称していわく 바바리맨 バーバリーマン。
イギリスを代表するファッションブランド Burberry バーバリー は、何と言ってもギャバジン地のトレンチコートが有名である。ハングル表記では 버버리 となる。韓国では、バーバリー製のコートでなくても、男性用のレインコート一般をすべて 바바리 と呼んでいる。韓国でバーバリーのコートがものすごく流行った時期がある、ないしはトレンチコートが憧れの対象だった時期があったのであろうと思われる。アタッシュケースのことを「
007カバン 공공칠 가방 」と呼ぶのと同工である。どちらも小学館の朝鮮語辞典に載っているのでご確認願いたい。
商標が 버버리 、朝鮮語化された外来語としてのコート一般が 바바리 。母音が違っているが、바바리맨 にしてみれば何のコートでも結局「ほらっ、これを見ろっ! 見るんだっ!」と叫んでコートの前をはだけるのだから、どっちだって同じことである。細かいことにこだわるのも大事だが、こだわりすぎて人前で裸になれないのでは 바바리맨 として失格である。ただし 바바리맨 として一人前になると社会人としての資格を失うのは言うまでもない。
ちなみに 버버리 맨 とすると香水の銘柄を指すことになっており、ここらへんが小面倒くさい。
분위기 메이커 ムードメーカー
和製英語ならぬ韓製英語。mood + maker 。
その人がいると、その場の雰囲気 [ 분위기 ] がパッと盛り上がる、明るくなる、そんな人のことを 분위기 메이커 と言う。
기운 [ 気運 ] / 흥 [ 興 ] 을 북돋다(気配・元気・活気 / 興を駆り立てる)、분위기를 띄우다 / 만들다 / 조성 [ 造成 ] 하다(雰囲気を浮き立たせる / 作る / 醸し出す)というのが 분위기 메이커 の語釈となる。
そうではなかろうかと恐れつつ調べてみると「ムードメーカーになるには?」というようなQ&A記事がやはりある。なろうとしてなれるムードメーカーなら、そんなものになろうとしない人のほうが、よっぽど素敵なムードメーカーな人のはずである。
미인계 美人局
詐欺の中でも男性が引っ掛かる確率が高いと言われる「美人局(つつもたせ)」。俺は男の中の男だぜ、女に甘い顔は見せないぜ。そういうふうに硬派ぶってるから、美人さんにちょっと親切にされるとヘロヘロになっちゃうんですよ。バカですね。
韓国語では [ 美人計 ] という漢字で、「ミインゲ」と読みます。ドラマ「自由人 イ・フェヨン」でも、アナーキスト集団が作戦行動のために仲間の美人を餌に情報を探っています。美人に気を許すから拳銃で撃たれたりするんですよ。
요요현상 リバウンド
食っちゃ寝状態の年末年始、ほらリバウンド。
韓国でもリバウンドに悩む人は大勢います。ダイエットして減ったはいいけど、安心して食べてたら元の体重より増えちゃったというこのリバウンド、韓国語では 요요현상[ ヨーヨーヒョンサン ](ヨーヨー現象)と言います。
行っては戻り、戻っては行く我が体重とヨーヨーよ。ヨーヨーしながらテレビを見るしかないですね。
젠장 こんちくしょう
やってらんねえや、こんちくしょう。あ、いきなり説明が終わってしまいました。
この 젠장[ チェンジャン ]、まさに、やってらんねえや、こんちくしょう、という気持ちが言葉となって口から飛び出ることになっている韓国語です。
閑古鳥が鳴いている店の主人、無茶な命令を受けた部下、数学の問題を前にした文系の学生さん、多種多様な方にお使いいただけます。
ああもうっ、くそっ、やだなあ。気がくさくさした時、星に願いをかけるより、そっと「チェンジャン」と呟けば、新しい世界も開けるでしょう。
それにしても、チェンジャンの語源がわからないなあ。チェンジャン。
월급쟁이 月給取り
人それぞれ、いろいろな属性を持っています。性格、職業、見た目。こいつはこういうヤツだ、と決め付けるのは無理があるのですが、決め付けるとわかりやすいのも事実ですね。
月給は韓国語読みで「 월급[ ウォルグプ ]」。では「쟁이[ チェンイ(ジェンイ)]」は何かと言うと、「これこれの属性を持った人間」という意味の接尾辞です。ですので、쟁이 の前には、まあほんとにいろんな言葉が来るんですね。
변덕쟁이[ ピョンドクジェンイ ] は 변덕([ 変徳 ]、むら気)で「お天気屋」。고집쟁이[ コジプジェンイ ] は 고집([ 固執 ]、こだわること)で「意地っ張り」。점쟁이[ チョムジェンイ ]は 점([ 占 ]、占い)で「手相見、占い師」。呼ばれたくありませんが、「嘘つき」ならば、거짓말[ 嘘 コジンマル ] をつけて 거짓말쟁이[ コジンマルジェンイ ]です。つけようと思ったら何でもつけられそうで、まさに言った者勝ち状態。あなたは何ジェンイ?
충성! 敬礼!
小ネタです。ご存知の方も多いでしょう。お巡りさんや軍人さんがする「敬礼!」を韓国語では「충성[ チュンソン ]」と言います。漢字は「忠誠」。
声の調子は、そうですね、「チュン! ソン!」のようにきっちりと切って発音します。酔っぱらいがふざけて交番なんかの前でやるなら「チュ~ンソ~ン」とかでしょうか。刑事物や戦争物の映画ドラマには頻出しますが、これ、使えるかもじゃなくて、外国人は使わない韓国語です。耳年増になるのも大事ですよ。
짭새 ポリ公、マッポ
市民の安全を守るため日々頑張っていらっしゃる警察の人たちをあれこれ言っては市民の品格に関わりますが、感謝の裏にはうざったいという気持ちもあるのもまた事実。スネに傷があろうがなかろうが、です。
そんなやましい気持ちと反抗精神を込めて使うのが짭새[ チャプセ ]。ポリ公、マッポ、サツ、イヌ、何かの自主規制コードにひっかかりそうなのでこれくらいにしておきましょう。つまり、警察官を意味する俗語です。
語源はさまざま。学生運動華やかなりし頃に、鷲をシンボルマークとする延世大学のキャンパスに潜入した私服刑事のことを「鷲の群れに紛れ込んだ種々雑多な鳥」という意味で잡새[ チャプセ(雑鳥)]と呼んだのがはじまりだとか、「捕まえる」という意味の動詞 잡다[ チャプタ ]に 새[ セ ](鳥)がついたとか、쇠[ スェ ](~なヤツ)がついたとか。なぜか 잡 が 짭 と濃音になるのは韓国語ではよくあることです。
使わないに越したことはないのですが、使うならこそこそ隠れて、または堂々と使いましょう。それが礼儀というものです。
차라리 いっそのこと
別れろ切れろは芸者の時に言う言葉。泉鏡花の『婦系図』のお蔦の台詞です。そのココロは、いっそのこと死ねと言ってくれ、なわけです。
このように、「そんなひどいことするのはイヤだ、そんなんだったらいっそのこともっと過度なことを」を表す副詞が 차라리 (チャラリ)。上記で紹介した『セレブの誕生』でも、財閥グループの娘が視察に来るというので誰が担当になるかで揉めるシーンで使われています。
マネージャー:「お前がやれ。니가 해라.(ニガ ヘラ)」
職員:「いえ、いっそ死にます。아뇨, 차라리 죽겠습니다.(アニョ. チャラリ チュッケッスムニダ)」
マネージャー:「そうか。死ね。그래. 죽어.(クレ. チュゴラ)」
もちろん応用も可。「いっそ殺して。차라리 죽여 줘.(チャラリ チュギョジュウォ)」なんて、どこで使えばいいのかは皆さん次第。けっこう使えますよ。あんな時とか、こんな時に。
메롱 アッカンベー
「アッカンベー」ならばアインシュタイン 아인슈타인[ アインシュタイン ]。老若男女を問わず、かわいいかどうかも問わず、アッカンベーなら 메롱[ メロン ]ということで。短く「メロン」でも長く「メローン」でも同じく 메롱 で OK 。ベローンじゃなくてメローンというのが何とも心地よい違和感。赤ん坊をあやすのにも使えます。「アッカンベーしてごらん。アッカンベー」は、메롱 해봐. 메롱 .[ メローン ヘボァ. メローン. ]の如し。
デジカメとかビデオカメラで自分を撮ること。
じつに朝鮮語っぽい略語であり、辞書に載るわけもない。셀 は self 、카 は camera 、질 は「反復行為、動作」という接尾辞。セルフカメラ撮り、みたいな感じか。
この類の略し方は探せば枚挙にいとまが無いのではないかと思われる。探してみてくださいね。
나홀로족 お一人様
日本の「お一人様」は、恋人なり伴侶なりを求めない(あるいは求めても得られない)、つまり独り者という意味合いが強い。そのかわり、住まいや身の回りの品にはトコトンこだわる賢い消費者という側面もあろう。
韓国版「お一人様」が 나홀로족 。나 は‘自分、私’、홀로 は‘一人で’、족 は[ 族 ] 。無理に直訳すれば「わたしひとり族」。一見同じようだが、若干意味合いが異る。
とにかく誰かと一緒じゃないと行動しない、またはできないという小犬状態の大学生が多い中で、あたしは一人でいるのが好きなんだもんねという学生さんが、増えつつある。ランチも一人、学校以外の習い事も自分で決めてきちんと通ってスキルアップ、移動中のカフェだって一人で入るわ。学校の知り合い? いますよ。でも、つるんで歩くのってあんまり好きじゃないかな。こんな学生さんを 나홀로족 と呼ぶ。
三十年くらい前に流行った言い回しで 나홀로 다방 というのがある。そのココロは「自分一人の喫茶店→トイレの個室」という半分謎かけみたいなものだった。時代が変われば、その示す意味も変わる。この 나홀로족、生き残るかどうか。一人酒場で飲む酒は、というメンタリティが朝鮮にあるかどうかにかかっている。
빵점 零点
見た目0点、体力0点、経済力0点、おまけにテストも0点……。
数字の「0」は、「ゼロ」ならば 공 [ 空 ] 、「れい」ならば 영 [ 零 ] と読むことになっている。
冒頭の「0点」なら、ふつうは 영점 となる。「点」は [ 쩜 ] のように濃音で発音する。
この 영점 の俗語が 빵점 。辞書にも載っている。しかし、何だ、この 빵 は。どっから来たのか。調べたところ、「パン」なんだそうだ。食べるパン。
数字の0が、丸いパンと形が似てるからなんだそうだが、突っ込みようがない。突っ込む必要はないのだが。
빵점 がらみであれこれ調べていたら、いろいろなパンの名前が出てきた。その中に「 소보루빵(または 소보로빵)」というのがあり、これはいわゆる日本語の「そぼろ」なんだろうなと思ったら、案の定、国語醇化運動の一環として「 곰보빵 」という言い換えが推奨されている。ただし 곰보 は「あばた面」という意味であるので、そのネガティブイメージから、곰보빵 という言い換えはまだ浸透しきっていない。
返す刀で、では「そぼろパン」とは何かを調べると、シュトロイゼルなどというドイツ語が出てきた。「ふりかける」という意味の語であり、転じて菓子などに振りかけるトッピングなどにも使うとかなんかと、こうなると管理者はお手上げであり、この短文の評価も 빵점 ということで勘弁してもらいたい。
함박웃음 いっぱいの笑顔
ぱっと花が咲いたような大きな笑顔を 함박웃음 と言う。
함박 とは和名オオヤマレンゲ。モクレン科の花で、白木蓮をイメージするといちばん近いかもしれない。両の手のひらをこごめて器のようになっている花の形は、何となく包み込まれるような感じで、花の色とあいまって心をふんわりさせてくれる。そんな笑顔が 함박웃음 である。呵々大笑という訳語もあるが、もうちょっと柔らかいような気もする。
朝鮮語で「 웃다 笑う」とくれば 활짝 という擬態語がつきもので、これは「ぱっと(咲く)」のように「花が咲く 꽃이 피다 」ともよく一緒に使われる。してみれば、花がぱっと咲くような笑顔と言うときの花はこのオオヤマレンゲ 함박꽃 であろう。
ふんわりとやや大きめのものということから、함박눈 はボタン雪となる。また木をくりぬいて作った大きめの器は花の名前と同じで 함박 と言う。器が先か花が先かは不明である。
ちなみに度量が大きい(小さい)ことを、朝鮮語でも日本語と同様に「器が大きい(小さい) 그릇이 크다 (작다) 」と言う。笑顔も器も 함박 でありたいものだ、と無理矢理こじつけてみた。
낙전 通話していない分の電話料金
낙전 [ 落銭 ] である。落っこっているお金ではない。電話で、課金単位に満たない通話時間でも同じだけ通話料金がかかりますでしょう? 3分当たり8.4円とは言っても、10秒で終わる通話もあれば、3分かかるお話もある。どちらも同じ料金だが、実質通話時間にかかったはずの料金と、課金単位との差額を 낙전 と称する。
管理者は携帯電話を所有しておらず、そのためまったく肌身にしみていないが、毎月のケータイ代ってのはばかにならないのだろうとは容易に想像がつく。無駄な部分がすなわち電話会社の大きな収入になっているのは当然で、韓国における年間の「落銭収入」は数千億ウォンにのぼるというではないか。
日本語ではなんと言うのかと考えもし調べもしたが、よくわからない。差額、かな。
ちなみに韓国の公衆電話(減少している。全国で十万台は無いと思われる)では、百ウォン玉を入れると1分だったか3分だったか通話できる。
話が終わって電話を切っても、実質的には通話時間が余るわけで、その分を無駄にしないために、公衆電話では受話器を架台にがちゃんと置かない美風がある。あるいはあった。
通話が終わったら受話器を電話機の上にぽんと置いて、次の人に譲る。次の人は「再発信 재발신 」というボタンを押して自分のかけたい電話番号を押せば、前の人の残してくれた「差額」で通話ができるというもの。낙전 を無くすためにはじつに幸便な機能だが、設置場所によってはこれが利かない公衆電話もあるようだ。
바람잡이 サクラ
あら、ほんとに便利だわ。おいくら? まあ、安いのね。お一ついただくわ。毎度あり!
これを見た他の客がつられて買ってしまう。最初に買ったおばさん(おじさん)は店と共謀しているということはざらにあり、こういうサクラを 바람잡이 と称する。
いろんなシチュエーションが考えられる。ギャンブルならばわざと負けてやって後で大きくはらせて全部かっさらってしまうとか、あるいは教会などで席上献金の際に多額の金額を見せて献金袋に入れるとか。はたまた提灯記事を載せるマスコミとか、いろいろだ。
바람 は「風」だが、その底には「何だかそういう気分、浮ついた気持ち」という、ふわふわした射幸心みたいな意味がある。何かいいことあるようなという期待感にわくわくする気持ちが 바람 だ。「浮気をする」のが 바람을 피우다 ( 바람 を吸う )という例がわかりやすかろう。
바람 は学習段階の比較的初めのほうに出てくる言葉で意味も覚えやすい単語であるから、辞書を引くこともあまりないかもしれないが、暇つぶしに是非一度ご覧あれ。いろいろ載っていますよ。と、こうやってそそのかすのが、まさに 바람잡이 である。
김밥 옆구리가 터지는 소리 海苔巻きの横っ腹が裂ける音
김밥 と言えばお手軽スナックの代名詞。ちょっと小腹が空いたときやお酒のオツマミに好適なコリアンフード。
そんな愛されるべき 김밥 の横っ腹が裂ける? どんな音がするのだろうかな。ブリッとかムリッとか聞こえたら面白かろう。
せっかく上手く巻けていたのに、巻いてる途中でブリッとかムリッとかいって海苔が破れてしまったときの気分は、おそらく oh my god 的なものであろう。何だよ、破れんなよ。いい加減にしろよ。そんなことから 김밥 옆구리가 터지는 소리 と言えば「くだらない、話にならない、片腹痛い」ことを指す。「 거짓말을 한 적도 할 생각도 없다고? 또 묵슨 김밥 옆구리가 터지는 소리야. 嘘をついたことも、つく気もない? なに寝言言ってんだ?」のように使う。
他にも
강아지 풀뜯어먹는 소리 (小犬が草の葉っぱを毟り食う)
소가 웃을 일이다 (牛が笑う)
돼지 하품하는 소리 (ブタがあくびをする)
などの例がある。いろいろなヴァリエイションがあろうかと思う。オリジナルも作れそうな気がする。
된더위 厳しい暑さ
「 된더위에 건강 유의하십시오.(厳しい暑さのおり健康にお気をつけください)」のような夏場のお手紙の軽い挨拶などによく使う。類義語には
폭염 [ 暴炎 ] がある。
된 は「水分が少なくて固めの、ひどい/はなはだしい」という意味の接頭辞。된장 [ −醤 ] ならば味噌、된밥 ・ 된죽 ならば固めに炊いた飯や粥ということになっている。된소리 ならばちょっと固めの音ということでいわゆる「濃音」。尾籠で恐縮だが 된똥 は固めの大便である。
水分が少なく固めのものが、なぜだか「ひどい/はなはだしい」という意味合いに通じて多くの語が生成される。된바람 (強風)、된서리 (晩秋の厳しい霜)、된침 (強いショック)、된서방 (気難しくて乱暴な夫)、などなど。
標題の 된더위 は辞書では見かけない。見れば一発で意味が通じるからだろうか。暑いのがあるなら寒いのもあるだろうということで 된추위 はどうかというと、된더위 ほどの一般性は少なくとも韓国では無さそうだ。혹독한 취위 ( [ 酷毒−− ] 厳しい寒さ)とか、고한 [ 苦寒 ] などが散見される。
「 다 된 이야기야. 」を、全部固まった話なんだな、あるいは堅い内容の話なんだな、と解釈しては、良さそうに思えても、それは違うのであしからず。こっちは 되다 (成る)の連体形 된 。すなわち「もう済んだ話だよ」という意味。준비 다 됐어요. (準備できました、終わりました)の 되다 である。同じ 된 でも相互の関係は無いのでご注意あれ。
군것질 買い食い、間食、つまみ食い
三度の食事(人によって違うだろうが)以外の時に何かを口に入れることを군것질 と言う。
何か口が淋しいなんて時、あるいは学校帰りの一風景としてお使いください。
「口が淋しい」は 입이 궁금하다(口が気になる)、입이 심심하다(口が退屈だ)で良し。
군 は「無駄な、余計な、必要のない、加えて」という意味の接頭辞。군것 で「無駄なもの」。
질 もよく使う接尾辞で、何か目的を持って行う動作を指す。다림질 (アイロンがけ)など用例多数。
間食や買い食いだけが無駄というわけでもなかろうに、なぜか 군것질 というと食べ物関連ということになっている。
以下、せっかくなので 군 で始まる「無駄」を調べてみた。
군말, 군소리(無駄口)
군눈(よそ見)
군살(ぜい肉)
군더더기(よけいな付け足し、つきまとう人)
군밥(居候に出す食事)
군붓(できあがった作品に書くいたずら書き)
군식객(居候)
군입정질(군것질 に同じ)
군일(無駄な仕事)
군짓(余計な世話、しなくていいこと)
군침(よだれ)
군턱(二重あご)
二重あご、いいじゃありませんか。
군XXはかなり生産的に応用が利きそうだ。探せばもっとあるだろう。さしずめこの文などは 군글 ということになる。
마당발 顔が広い人、扁平足
顔が広い人は扁平足とは限らない。調べたことはないがおそらく相関関係はないはず。朝鮮語で「顔が広い」ことを 발이 넓다 と慣用的に使うのは比較的よく知られている。足が広いんである。つまり行動範囲が広いということなんだろう。「 마당 広場」ということで 마당발 。
ニュートラルよりはどちらかと言えばどこにでも顔を出しては口を挟む、何だか節操の無い、売名的なにおいが 마당발 からは感じられる。「 연에계 최고의 마당발 芸能界一顔が広い人」は複数いるのだろうが、どこかしらお調子者の感は拭えない。
即物的に足の幅が広い扁平足も 마당발 と称する。평발, 납작발 という言い方もあるが、足が広いと言うよりは平べったいというイメージ。
ちなみに発音は [
madaŋbal ] であって、合成語扱いされていない。
일드 日ドラ(日本のドラマ)
日本で韓国ドラマが流行ったのはいつからだろうか。
もうすぐ21世紀を迎えようという時期に『 모래시계 (砂時計)』であるとか『 보고 또 보고 (ずっと会いたい)』などがごく一部の好き者の間でもてはやされていたようなおぼろげな記憶があるが、やはり人口に膾炙し始めたのは『 겨울연가 (冬のソナタ)』にとどめを刺す。
韓国でも日本のドラマ好きは多数いる。「ホントウの会話は日ドラにある! 진짜 회화는 일드에 있다! 」とは管理者の手元にある韓国の日本語学習書(と言って良かろう)のタイトルである。
くどいようだが、どうしてドラマを頭の一文字だけ残して略すかな。朝鮮語のニオイがぷんぷんして頭がクラクラして大変気持ち良いような気もする。韓国ドラマが「韓ドラ」になるのも変と言えば変だ。お互い様である。
タイトルにある 회화 は [ 会話 ] であるが、これは通常「英会話、外国語会話」などある種のお勉強モードで使われる語彙である。日常のいわゆる会話は 대화 [ 対話 ] と言うのが一般的だ。家族なり夫婦の会話が不足しているのよね、なんていうなら「 대화가 부족하다 」がマッチしているだろう。
こういうことを知っていても会話はおいそれとは復活しないのであって、いっそのこと朝鮮語で 회화 を交わせばおのずと言葉遣いが丁寧になったりするから不思議である。健闘を祈る 건투를 빈다 。
무가지 フリーペーパー、無料の情報誌・紙
街角のスタンドにささっている、どうぞご自由にお持ちください的なフリーペーパーの総称が 무가지 。このほか新聞社などが折り込みに入れる分厚いが読むところのない特別紙面(正月などに何種類も挟み込まれる)のもやはり 무가지 。漢字では [ 無価誌・紙 ] である。なんとも直截だ。なんてことのない漢字語だが日本で出版されている辞書には載っていなかったので小ネタとして紹介した次第。
発音は [ 무까지 ] となる。なんでこれが濃音になるんだよ、どうなってんのかしら、とご不満の方は
漢字語の語中の平音と ㅅ の濃音化2 を参照されたし。
동네 파마 おばちゃんパーマ
ウェーブと言うよりカールがきつくかかっていて「やっぱりパーマは長持ちがいちばんよ」と、見た目より経済効率を優先させたパーマを 동네 파마 と呼ぶ。동네 は「町内、ご近所」くらいの意味であるからして、家から歩いて二、三分の「 김미숙 미용실 金美淑美容室(仮名)」で数十年来の知り合いの美容師である金美淑(キム・ミスク)お姉さん(59歳・推定)にあててもらったパーマということになろうか。
ここやはり 미용실 [ 美容室 ] がぴったりくる。미장원 [ 美装院 ] だとカーラーの巻きのきつさがもうちょっとエレガントに緩めのような気がするのだ。
막대 풍선 応援などに使う長い風船
野球の応援風景でよく見かけるあの風船である。막대 は「棒」。막대기 が縮まったもの。「棒風船」とでも直訳できようが、日本では主に「ジェット風船」として売られている。
男性用避妊具の巨大版というような風情なので韓国でもきっとその手の言い方があるはずだと睨んだのだが、日本と同じで 콘돔 풍선 という言い方があるばかりだ。芸のないことである。なくてもいいのだが。ただし 콘돔 풍선 と言うと、いわゆるジェット風船ではなく、 콘돔 そのものを風船のように膨らますという意味合いで使われることも多い。そんなもの膨らましてどうするのか。ちなみに風船なり 콘돔 を「膨らます」のは 불다(吹く)。
혓바늘 舌の先にできるポチッとしたできもの
何かの拍子に舌の先にポチッというか、プチッというか、小さなできものができてしまうことがあろう。ストレスだか胃腸が弱っているだかが原因だろうか。そんなものできたことない? それならそれですこぶる健康。このポチッとしたできもの、口内炎の一種として、けっこうありきたりなものなのでは。
このできものを朝鮮語では 혓바늘 すなわち「舌針」と称する。舌が혀 、針が 바늘 。舌の針、実になるほど、よくわかる。痛いですしね。小さいくせに気になる部分にできるからなおさらだ。
間に
사이 시옷 が入っているので、朝鮮語の語感では合成語ということになる。
さて、せっかくなので辞書を見てみる。日本で売られている韓日・朝日辞典ではこの 혓바늘 、「舌苔(ぜったい)」として記述されている。舌の広い面( 혓바닥 )に生えるというか、できる白いような分泌物が舌苔。おや、すこしもポチッとしてないな。
そこで韓国で作られた辞書を見てみる。するとこちらは「舌の先に出来る赤い粒状のできもの」というような説明だ。赤いかどうかはともかく、こっちのほうが実際に使われている 혓바늘 の意味に合っている。
では舌苔は朝鮮語でどう言うのかと言えば、これは単純に漢字語として 설태 [ 舌苔 ] で良さそうだ。
朝鮮語ではかなり細分化されている分野の語彙が、日本語では独立した語彙として見当たらない場合がある。食肉の部位名など朝鮮語はかなり細かく分かれていて一般によく使われる。逆の場合もあり、昆虫の名前などは日本語のほうがよく細分化されている。こういうのは知らなければ知らないでいいものだが、知っていると 혓바늘 の痛さも愛おしくなろうというものだ。
철가방 おかもち、出前持ち
剛直に「鉄カバン」である。日本なら蕎麦屋、ラーメン屋で馴染みの、あの「おかもち」のことだ。
韓国では中華料理屋 중국집 、メニューは何と言ってもチャジャンミョン 자장면 とチャンポン 짬뽕 、これで決まり。昼時、「 전화한 게 언젠데 왜 아직 안 와요? さっき頼んだのまだ?」「 방금 출발했습니다. はい、今出ましたんで」という会話が電話で交わされるのは日本も韓国も同じ。出前の人、たいへんである。
出前をする人を蔑んではいけないので、배달원 [ 配達員 ] 、배달기사 [ 配達技士 ] という職名もあるにはある。あるにはあるが、出前の人のことも 철가방 と呼ぶのがすっかり一般化していると見てよかろうと思う。「おい、おかもち!」ってところか。
これは蔑むというよりも、ある種の親しみを込めた呼びかけであろうか。一説には 1980年代後半の人気バラエティ番組『 쓰리랑 부부 スリラン夫婦』の中のコントシーンが、出前の人を 철가방 と呼ぶようになった始まりとも。それ以前から中華料理屋業界ではそう呼んでいたともいうが、こういうのは確定不能である。
2009 年 1月に
韓国デザイン文化財団 한국디자인문화재단 という団体が
Korea Design Heritage 2008 と題して韓国の過去五十年間における生活の中のデザイン厳選52 、というのを発表した。この中に 철가방 も含まれている。자장면 、 짬뽕 と言えば韓国人の生活に密着した、実にもって心の襞に直結した食品(好きではない人も多い。ラーメンも同様だ)。それを運んできてくれる出前の人、その人が持っているおかもち。同団体のコメントによれば「生活デザインとしては進化を完了した形態」なのだそうだ。
こういう選定結果が公表されるといろんな人がいろんなことを言い始める。曰く、철가방 は韓国固有の文化として素晴らしい。曰く、철가방 は韓国固有のものではなく日本のものだ。江戸時代からある。などなど。ことの真偽はともあれ、こういう議論が沸き上がるのも、やっぱり生活に密着しているからかな。そこまで好きか、자장면 と 짬뽕 。好きなんだろうな。美味しいものね。いささか油っこい( 느끼느끼하다 )が。
そんなこんなの愛憎半ば?した 철가방 へのオマージュをモチーフにした歌もある。タイトルは『 철가방을 위하여 (おかもちの為に)』。グループ名は「 철가방 프로젝트 」(オカモチ・プロジェクト。いや、おかもち計画のほうがいいかな)。一度お聴きになれらると面白うございましょう。
갈라쇼 スケートのエキシビジョン
知っている人は既に知っている小ネタである。
スケート、なかんずくフィギュアスケート 피겨 스케이트 (単に 피겨 と称することが多い。それにしても、いつものことながら figure が 피겨 だものなあ)の大会で、本競技とは別にエキシビジョンが行われる。日本ではエキシビジョン、韓国では 갈라쇼 である。横文字で記せば gala show 。
というわけで英語辞典を引いてみると“祭り、祭礼、祝祭”となっている。もとはフランス語で、このほかに特別公演、特別興行をも指すのだそうだ。
ははあ、これはあれだな、新潟県のスキー場のガーラ湯沢のガーラだな。そうでしたか。はい。
비행기를 태우다 おだてる、よいしょする
비행기를 태우다 であって、비행기에 태우다 ではない。助詞は 에 でも良さそうだが、そこは慣用的表現である。-를 / 을 には、対象物に対して何らかの働きかけをするという含みがあるのでこれでもいいのだ。
おだてる、よいしょする、もちあげることを、朝鮮語では「飛行機に乗せる」と表現する。日本語話者にも感覚的に納得の行きやすい言い回しだ。至極つまらない用例としては、비행기를 태우지 마세요. (おだてないでくださいよ)というのがある。
おだて上げたらば、その一連の流れとして落とさないといけない。この場合の「落とす」は、
平凡に 떨어뜨리다 でよさそうだ。추락시키다(墜落させる)なども使えそうである。비행기를 태우다가 떨어뜨려? (持ち上げといて落とすの?)などと文句を言ってはいけない。上がったら落ちるものである。
この 비행기를 태우다 にはもうひとつの使われ方があった。拷問である。昔やっていたそうだが、今でも密かに行われていたらいやだ。後ろ手に縛り( 뒷짐을 지우다 )、足首や膝の辺りも縛り( 주리를 틀다 )、囚人を天井から吊り下げてあれこれ苦痛を加えるという陰惨なものだ。こういう飛行機には乗りたくない。
삼천포로 빠지다 話が脱線する
삼천포 は慶尚南道南部の泗川市 사천 のそのまた南部の海沿いの地域。1995年までは三千浦市という市であった。行政区域改編により泗川市に編入され、現在は南海 남해 沿いの陸地から 모개섬(モゲ島)、늑도(勒島)を経由して 창선면(昌善面)へと至る大きな橋が架かっている辺りを指すことになっている。詳しくは地図を参照されたし。
この 삼천포로 빠지다 、何かを話していて話題が他のことに移り「あれ、何の話してましたっけ。ああ、話がそれましたね。어, 아까 무슨 얘기했었죠? 삼천포로 빠졌군요. 」のように使える。
また、「子供の目を見て話さないと子供の注意がそれます。어린이의 눈을 보지 않고 이야기하면 삼천포로 빠지게 됩니다. 」のように気持ちがどっかに行ってしまうことなどにも使用可能。빠지다 のかわりに 가다 を使った言い方もよく見られる。「僕、人と話していてもあまり耳に入ってこないんです。난 사람과 대화하다가 삼천포로 잘 가요. 」みたいな人もいる。「なぜだかわからないが意図せずして所期の予定とは違ってしまう」ことである。
話が脱線する、脇道にそれる、事が変な方に流れていくことをなぜに「三千浦へそれる、陥る、はまる」というのか。慶尚南道には晋州 진주 という昔からの大きな町がある。その晋州へ行こうとした商人が道を間違って三千浦に行ってしまった。あるいは、釜山から晋州への汽車は途中駅で晋州行きの車両と三千浦行きの車両とに切り離されるのに、お喋りに夢中になっていた乗客が気づかずに間違って三千浦に行ってしまった。はたまた、ソウルに休暇で戻っていた軍人さんが鎮海 진해 の軍港に帰隊しようとした際に間違って三千浦に行ってしまった。
上段で挙げた諸説、全て「間違って三千浦に行ってしまった」わけである。三千浦の人にしてみれば勝手に間違われたって困るであろう。お気の毒である。みんなして間違って三千浦に来ちゃうものだから地元では嫌がっているらしいとの話も聞かなくもない。そういえば日本映画『菊次郎の夏』は韓国でも公開された。その韓国版宣伝ポスターの「 엄마 찾아서 삼천포(母を訪ねて三千浦)」というフレーズに泗川市が抗議したとかしないとか。上手い、としか言いようがない。
감이 오다 ピッタリ来る
감 [ 感 ] は「感じ、感触、感度」の感。思い描いているものとピッタリ合致している、うん、これなら良いね、のような時に、「“感”が来る」と表現する。감이 오죠?
どうもいまひとつだなあ、と思いながら本屋さんなどで本を探したこともおありでしょう。放送メディア関連の入門書(何でもいいのだが)みたいなものを探していて、類似した業界の技術書などはあるもののぴったりしたものが見当たらない。こういう際には「 감이 안 와. うーん、いまいちピンと来ないわね 」と単純に否定文で使える。
감 [ 感 ] も、오다 も当たり前のように辞書に載っているが、この二つの組み合わせでは載っていなかったので紹介する次第。
비빌 언덕 頼みの綱、最後に頼る人
この会社落ちたらもう就職できない、あそこに借金断られたら頼む人がいない。あるいは、お前だけなんだよ、俺が頼れるのは、などのように「最後の最後に泣きつく人、最後の頼みの綱となる人」のことを 비빌 언덕 と称する。よく使う表現だ。
字義通りならば、비빌 は動詞 비비다 の連体形で、언덕 は丘、である。こする丘? 混ぜ捏ねる丘? どうしてこれが「最後の頼みの綱」になるのか、リサーチの結果、諸説紛々あった(管理者の周囲に限る)。最も納得の行く説明によれば以下の如し。
牛や馬、いるでしょ? 尻尾で蝿とか虫とか追っ払うよね? でも尻尾じゃ届かない部分もあるワケよ。その時ね、牛とか馬、どうすると思う? そう、背中をね、こすりつけるでしょ、痒いから。地面とか木とか壁とか岩角とかに。ね? だから、どうしようもなくなって、最後に頼るのが、ほら、背中をこすりつける丘なわけじゃない? わかった?
わかった、と応えざるを得なかったわけである。解釈の当否はおくとして、なるほど感じはわかる。
弊サイトが皆様の 비빌 언덕 であることができますように。思う存分こすりつけてほしい。
개나소나 猫も杓子も
「誰も彼も、猫も杓子も」に当たる朝鮮語がこれ。杓子を持ってきた日本語の突飛さも捨てがたいが、動物で統一した朝鮮語の「犬でも牛でも」という言い回しも味わい深い。
「 개나소나 다 하는 시구식 」とすれば、野球の始球式の人選に根拠はありそうで結局有名人なら誰でも、というお手軽さを皮肉っているのだろうし、「 차하면 개나소나 벤츠 」は、似合わないのにベンツに乗ったりしちゃってまあ、ということになろう。
若干尾籠で申し訳ないが日本語には「味噌も糞も」という表現があり、これも 개나소나 で表せる。「 요즘은 개나소나 다 명작 」、この頃は何でもかんでも名作扱いしちゃうのね、ほんとの名作とただ名前が売れてるだけの作品を味噌も糞もいっしょにしちゃうのね、という意味だ。
ちなみに慶尚道では 개나소나 のかわりに 쥐나개나(ネズミも犬も)と言うこともあるとのこと。こうなったら順列組み合わせで 소나쥐나(牛もネズミも)というのがあっても良いのではと思うが、それはないらしい。残念だ。
야자 타임 無礼講
さあ、今日は無礼講で行こうじゃないか、な? ほらほら、そんな緊張しないでいいから。
真に受けると後でエライ目に遭うのが万国共通の無礼講で、言葉が無いだけでどこの国でもホンネとタテマエはある。韓国にももちろん、ある。
さて標題の야자 타임 、これは酒の席そのものが無礼講と言うよりは、飲み会の余興の一つとしての「無礼講タ〜イム!」みたいなもの。야 は「야!」すなわち、掛け声である。자 は Ⅰ -자 つまり勧誘形の語尾。「やろう!タイム」とかなんとか、適当に訳すほかなさそうだ。芸能人が飲み食い騒ぐ様をお茶の間にお届けするバラエティ番組の一コーナーでもたまに見かける。
腹蔵なく話す、気楽に話す、という日常的な言い方ならば、말을 놓다 、말을 편하게 하다 などがよろしいようで。男性専用の言い方では、さすが軍隊がある韓国なので、계급장 떼고 (階級章を外して)というものがある。いくら階級章を外しても心の階級章は外れまい。
슈퍼맨 スーパーマン
スーパーマンである。なぜスーパー super が 슈퍼 になっちまうのか、責任者出て来いと言われても責任者はいないので泣き寝入りだ。
婦女子の方々の中にも泣き寝入りと言うか、見たくもない物を見せつけられて気分を害した経験をお持ちの方も多数いらっしゃることだろう。何の話かと言えば、女子高とかの前に出没する、コートの前をバッとはだける、あの種の人たちのことだ。韓国でも事情は同様で、トレンチコート(なぜかバーバリー 바바리 と称する)を着込んで、その下は裸、というあの種の人たちのことを、韓国では 슈퍼맨 と呼び慣わす。そういう性癖の人をもっと直裁には、変態 변태 と言うが、あまりの露骨さに芸がないので、ここはひとつ空でも飛べそうなぶん 슈퍼맨 の勝ちとしたい。
누드 김밥 裏巻きの海苔巻き
海苔巻きと言えば 김밥 。韓国の定番スナック、間食、つまみメニューだ。
通常は海苔の上にご飯と具を載せて巻くわけだが、ご飯の上に海苔、その上に具というふうに、ご飯が表になるように巻いたものを「 누드 김밥 」と言う。知っている人は誰でも知っている、ガイドブックにも載っている言葉。
こういう造語なら何でも作れそうなので類例を探ってみた。知り合いの韓国料理店の店長は「セクシー・キムパプ 섹시 김밥 」と言い換えてくれたものの、いささか芸がない。ここはひとつゲイジュツの薫り高く、ゴヤの「裸のマハ 옷을 벗은 마하 La Maja desnuda 」「着衣のマハ 옷을 입은 마하 La Maja Vestida 」にちなんで「 옷을 벗은 김밥 La Gimbap desnuda 」というのはどうか。どうかってなんだ。裸から離れた方が良いのではないか。ところで 김밥 は女性名詞?
개미 個人投資家
景気が良ければ活発に、景気が悪くてもそれをしのうごうとより活発になるかと思われる株式投資。自分個人が動かせる範囲のお金でマネーゲームをする個人が増えた。そんな個人投資家を 개미 と俗に称する。개미 、つまり「蟻、ありんこ」である。なるほど一個人が動かせるお金など機関投資家に比べればまさに蟻のようなもの。その 개미 の中でもけっこう多額のお金を動かす強者を 왕개미 とも言う。왕 [ 王 ] は「大きい、スーパー」というくらいの意味の接頭辞。
どうこう論評する立場にない管理者だが、どうか 개미귀신(蟻地獄)に食べられないようにお気をつけになられたい。
ついでながらイソップ 이솝 童話の「アリとキリギリス」は朝鮮語では「 개미와 베짱이 」と訳される。베짱이 を辞書で見ると「馬追虫(ウマオイムシ)」となっている。ウマオイムシとキリギリスの違いは宇宙の謎としてそっとしておいてほしい。
강추 オススメ、イチ押し
強く推す、これである。강력 추천 [ 強力 推薦 ] の縮約されたものが、この 강추 。
「イチ押し! 春のおでかけ服 강추! 올봄의 나들이옷 」「ダイエットにオススメ! 다이어트에 강추! 」など、とにかく一番にお薦めしたいことを強く言う場合に使う。
강추하다 として動詞としても使用可。「バックパッカーが薦める旅行必読書 배낭족이 강추하는 여행 필독서 」の如し。かなりくだけたシチュエーションでも使えるし、ことによれば固い場面で「社長が是非にとお薦めになられるので 사장님이 강추하셔서 」のようにも使えそうだが、いかんせんまだまだ新語略語の軽さは拭い切れていない。辞書に載るのは当分先、あるいは載らないかもしれない21世紀に入ってからの言い回しだ。
인덕 人徳
人徳と言い仁徳と言う。人徳も 인덕 、仁徳も 인덕 。ただし人徳は[ 인떡 ]と徳の字が濃音で発音され、仁徳はそんなに力んで発音しなくとも良い。前者は「その人に属する徳」という合成語扱い、後者は「仁愛という徳」という同格表現ということになろうか。
ところで、日本語で「人徳がある」というのは他人に対するたいへん高い評価であろう。自分で自分に人徳があるとは言わない。ところが朝鮮語では他人のことだけでなく、「私は人徳がある。나는 인덕이 있다. 」という表現が通用している。これは「私はいろいろな人に助けられている。助けてくれるだけの優しい人が周りに多い。ありがたいことだ」くらいの意味で使われる。決して自慢しているわけではない。もっとも、自分には助けて貰えるだけの実力なり人柄なり何なりがある、ということなので、こういう部分に朝鮮語のアグレッシヴさを感じる。
대박 大当たり、大成功
대박 の 대 は、やはり「大」なんだろうと思われる。大当たり、大成功、メガヒット、大もうけ、大漁など、通常の成果を大きく上回る場合に 대박 を使う。副詞的にも使うし、대박이 나다 / 대박을 만나다 のように非常に良好な結果になったことや、大きな成果を得たことを表す。
「XX 대박 」「 대박 XX」の形で見出しやキャプションで使われるのを見ることが多い。もう何でもあり状態だ。로또 대박 という貼り紙なら「宝くじ一等大当たり」、바다낚시 올해 대박 예감 などは「海釣り、今年は爆釣の予感!」とかかな(釣り情報など)。ギャンブル、興行、宝くじ、ベンチャー企業などの関連でよく目にする。なんだか一攫千金的な夢を喚起する言葉だ。
付け足しだが、では 대박 の 박 は何か。どうもはっきりしないようで、賭博の「博」だとか、「ひょうたん」の 박 (昔話の善玉代表 흥부 フンブが 박 ヒョウタンを割ったら宝物どっさり、というエピソード)だとか、定説はあるようでいて実は無い。こういうことは不明なままのほうが面白いのでそっとしておきたい。
また付け足しだが、쪽박 という言葉もある。대박 ほどには流布していない。さしずめ「プチ当たり」とでもなろう。쪽 は「小さなかけら、切れっ端」などを表す時に用いられる。쪽지 は「紙の切れっ端、メモ紙」。
방콕 引きこもり
この際、良いか悪いかの評価はしないことにするが、自分の家やら部屋やらに閉じこもって外にほとんど出ないで暮らす、というライフスタイルの人が増えている。引きこもり、という表現は日本ではもう既に普通の表現だろう(2007年10月現在)。では韓国はどうかというと、やはり同様の生活様式を好む人たちがいるわけで、引きこもりを意味するそれなりのりっぱな用語もあるかもしれないものの、近頃ぽつぽつ目につくようになったのが 방콕 。当たり前に調べればタイの首都、バンコク。バンコクに引きこもりの人が多いというわけではなく、これは「 방에 콕 들어 박혀 밖에 나오지 아니함 」、無理矢理に直訳すれば「部屋にブスッと突き刺さって外に出てこないこと」、これの 방 と 콕 を取り出して作った新語だ。콕 は、尖った物が突き刺さる様子を指す「ブスッと」という擬態語。愛想がないとかいう「ブスッと」ではない。あてはめ的に和訳すれば、さしずめ「ヒッキー」というところだろう。
この引きこもりを意味する 방콕 なる新語は残るのか、どうか。引きこもっている人のことを 방코 (バンコ)、日本の女性の名前の「〜子」にかけた洒落みたいな言い方もあると仄聞したが、さて人口に膾炙するまでにいたるものか、どうか。
콩깍지가 눈에 씌다 豆の皮が目に被さる
何の豆の皮だろう。小豆ではなさそうだし、もちろん血豆でもない。目蓋なり目なり、それくらいの面積を覆うことができるくらいの大きさの豆の皮だとすると、大豆でも小さそうだし、ソラマメだと何だか大きすぎる。枝豆の鞘なんかだとやっぱり変だ。
問題は豆の種類ではなくて、どうして恋に落ちることを豆の皮に託したか、だ。英語で言うところの Love is blind. または One cannot love and be wise. つまり恋は盲目、愛すると同時に賢明でいることは不可能、こちらの表現はなんだかかっこいいが、朝鮮語は豆の皮だものなあ。
씌다 は쓰다(被る)の受け身・自発であり使役、「被さる、被せる」の意。「被せる」は普通は 씌우다 を使う。男優の誰だか忘れたが記者会見で「私の目に豆の皮を被せてくれる人を待っています。내 눈에 콩깍지를 씌워주는 사람을 기다리고 있어요. 」とかなんとか言って記者たちを煙りに巻いていた。美男だから豆の皮を被ってもさまになるのだ。
정석 『数学の定石』
韓国の受験生に福音をもたらし続けた、あるいは今ももたらし続けている数学の参考書の古典『数学の定石 수학의 정석 』シリーズ、略して「定石」。文中や会話の中で「いやあ、数学はやっぱり‘定石’だよね」などと使われると、やっぱり数学は公式を覚えないと駄目なのは韓国も日本も同じかと思いがちだが、これはやはり参考書としては『数学の定石』がいちばんだという意味だろう。このシリーズは40年を越えるロングセラーでもあり、著者の 홍성대 の知名度は抜群である。自費で高校まで設立したというからほんとうに売れたんだなあ。「定石」と言えば 홍성대 、「豆単」と言えば赤尾、と言う程度には人口に膾炙していると見てよかろう。韓国人としてみればなんだか郷愁を誘われる参考書だ。
연신 ひっきりなしに、しょっちゅう
「연신 카메라 셔터를 누르면서 환호성을 질렀다. ひっきりなしにカメラのシャッターを切りつつ歓声を上げた(芸能人の姿を空港で見たファンなど)」のように使う。
この 연신 、「連続している」という意味の接頭辞 연 に 신 がついたもの。辞書には載っていない。「ひっきりなしに、しょっちゅう、続けざまに」という副詞 연방 に由来するものらしい。연방 はちゃんと辞書に収録されている。
では 신 は何だろう。楽しいとかウキウキするとか言う時の 신나다 の 신 かな。それとも「新 신 」かな。調べたものの不明でした。お調べになってご教示ください。
디지털 치매 デジタル痴呆
たいへんわかりやすい。デジタル機器ばかり使いすぎていると記憶力が低減するというもの。もう少しこまかく言えば「携帯電話やパーソナル・コンピュータの過剰使用により記憶力や判断力が低下したり、過度の情報吸収による“覚えたらすぐに忘れてしまう”という健忘症類似状態になること。脳に器官的な問題がある老人性痴呆というのとは別物」というのが一般的なまとめ方のようだ。
日本でならワープロが普及しだして概ね二十年(2007年現在)。たしかに手書きの機会は減って、おかげで漢字の書き順や送り仮名はあやふやになっている面もあろう。
ほぼ完全に死語になりかかっている「教養」なる言葉がある。いろんなことを知っていること、その知識を活かせること、というくらいの意味合いだと思うのだが、人間そんなに何でも知ることはできない。そこで、万巻の書を読まないでも「どの本にどういう内容のことが書いてある」というインデックスだけ覚えているのがほどの良い「教養」だ、くらいの文章をむかし読んだことがある。そういうものかもしれない。わからないことは調べれば良いという考え方だ。
話はかわるが、情報処理・通信端末を体に埋め込んだ人間というのはSFではよくある設定で、結局最終的な判断は個としての人間が行う、あるいは機械に頼り切る、さあ人類の新しい地平はどっちだ、あなたはどうする? という問いかけがフィクションを通して為されるのが常であった。今でもそうかもしれない。
すると、携帯電話なり個人が使用するコンピュータなりは、目なり耳なり口なりを補う「肉体的器官」に相当するものとも言えないか? インターネットなどは「巨大な外部共用脳」だ。これらはまだまだお粗末な機能しか持っていないが「肉体的に連結された判断器官」という人間の属性になる可能性すらある。
管理者は携帯電話が嫌いだが、そんなことも言っていられない世の中に既になっている。関係性の中にしか個は存在し得ないのならば、機械だろうが本だろうが、それを前提条件にしたコミュニケーション技術を、知識や技術という形ではなく、生得的な機能として身につけていく方向に人間は置かれているような気がする。今のところは「ケータイつかってて漢字忘れちゃったあ」くらいのことで済んでいるが、もう何段階も大きな変化はあるはずだ。そうなれば「デジタル痴呆」というのは先天的な機能障害を表す医学用語になるのではないか。
앵벌이 泣き落としタイプの子供の乞食
乞食 거지 にもいろいろなタイプがある。ただ座っている者、何らかの口上を述べてアピールする者、そしてこの子供の乞食 앵벌이 。
앵 は何となく「えーんえーん」と泣く擬声語を連想させるという意見もあるがつまびらかではない。でもやはり泣くことのイメージが強そうだ。벌이 は「儲ける、稼ぐ 벌다 」から派生した「稼ぎ、儲け」くらいの意味。つまり泣き落としタイプの乞食である。主に子供が地回りのチンピラやくざの組織化のもとに儲けを吸い上げられるという形態での営業種目だ。たいてい何か物を売っている。辞書にはあまり載っていない。
角兵衛獅子といっしょにしては怒られるが、まさにその類のものと言える。子供を使うな、バカタレが。昨今見かけることは少なくなったものの、いなくなったわけではないし、様態を変えて子供は使われてもいる。子供には子供の、大人には大人の勝負所があろう。大人のしのぎに子供を使ってはいけない。
쫑파티 講座終了時の打ち上げ
何かと言っては集まって飲食をしたがるのは、どういった理由からなのかつまびらかにはできないものの、気の合う仲間同士の集まりは楽しい。ナントカ講座とか、学年終了とか、ある一区切りがついた時に行われるいわゆる「打ち上げ」を 쫑파티 と言う。学校などの場で使われる言葉であり、会社などでの飲み会には使わない。
朝鮮語は濃音が好きなようで、何かと言っては濃音化したがる。どういった理由からなのかはつまびらかにはできないものの、この言葉もそうだ。종강파티 [ 終講−− ] → 종파티 → 쫑파티 。ざっとこのような感じで濃音になっている。
授業内容や達成感の大きさが打ち上げの中味の濃さに反映されますように。そんな打ち上げをしたいものだ。
악플 悪意のこもった書き込み、悪意のレス
世はいつの間にかインターネット時代。匿名性の時代でもある。匿名なのをいいことに、ただひたすら中傷誹謗を旨とする書き込みを掲示板などに連発する人も少なしとしない。このような「悪意のこもった書き込み」を朝鮮語では 악플 と称する。ほぼ定着した用語と見てよかろう。「悪」と「reply」の合成造語である 악플 を専ら頻繁に行う人を 악플러( 악플 - er )、악플러 を非難して 악플 폐인 [ −−廃人 ] とまで言うのも激烈だ。
악플 を書き込む人にも一分の理があろう。我々は 안티 である、と。안티 は自らのことを「非難、批判ではなく批評する者だ」と称するのが相場だ。「反〜」という接頭辞 anti- をそのまま名詞として受け入れた 안티 、「XXに反対する立場の人間、反対派」と言う意味でそのまま使う。안티 を他の言葉の頭につけて 안티 자이언츠 アンチ・ジャイアンツのように日本語と同様にも使うが、朝鮮語では逆に名詞の後につけて使う例と単独で使う例が目立つ。「ペ・ヨンジュンぎらいの人あちゅまれえ〜」、ならば、さしずめ「 배용준 안티 뫼세용용용 」、となる。
芸能人 연예인 ともなれば 악플 や 안티 の千や万や十万くらいではへこたれないしたたかさが必要なのかと思うとかわいそうだがそれも商売。
분식 うどん、たこ焼き、お好み焼き、餅など
いもたこなんきん、とはまた古めかしいが日本の女性が好きな食べ物の代表格を語呂良く並べた名フレーズだ。朝鮮語では何かないものかと考えると、語呂は良くないが 분식 が挙げられるのではないか。
うどん、たこ焼き、お好み焼きなど、日本の関西あたりでは「粉もん」と呼ばれる食べ物、これらすべて「でんぷん食、炭水化物食」だ。朝鮮語で言うところの 분식 、これもずばり [ 粉食 ] という漢字語である。米や小麦を粉に挽いて、水を加えて練り上げたものを焼くなり蒸すなり茹でるなりしてデンプン質をアルファ化させた食べ物、というまがいものの料理本の解説もどきより、これらの食べ物を置いてある店 분식집 メニュウを列挙した方が美味しそうだ。
マンドゥクク 만두국 、トックク 떡국 、ピンデトク 빈데떡 、ウドン 우동 、カルグクス 칼국수 、ピビンパ 비빔밥 、キムパプ 김밥 ...などなど。
なかには「粉もん」とは呼べないものもあるが、 분식집 の 분식 は安いし早いし飾らずそれなりに美味しく量もたくさん、言うこと無しだ。
싸구려 安物、二級品、B級
権威主義的と言おうか、ケチと言うべきか、良い物の方が良いという、心情は誰にでもあろう。ごく簡単に喩えれば、同じ値段、同じ性能のSONY製品と、聞いたこともないメーカーの製品だったら、名の知れたSONY製品を買うのではないか。聞いたこともないメーカーの製品=安いはず・信用できないはず・毀れやすそう...などのイメージがあるだろうからだ。
この場合の「聞いたこともないメーカーの製品」のような物を 싸구려 と言う。形容詞 싸다 に詠嘆の終止形語尾 Ⅰ -구려 がついたフレーズが名詞扱いされて定着したものだ。
싸구려 は単独でも頻繁に使うが、「 싸구려 XX」のように他の名詞を修飾する形で使われるのが多い。実に多彩である。安物の油 싸구려 기름、二流雑誌 싸구려 잡지、B級ヤクザ映画 싸구려 건달 영화 。싸구려 국가 はさしずめ「低級な文化しかない国家」、싸구려 노동력 は「低賃金かつ技術力が伴わない労働力」となろう(児童労働の問題についての記事より)。싸구려 취급을 받다 は「安く見られる、テキトーに扱われる」という意味で使われたりする。
싸구려 인생 などと言われても怒らないだけの度量は 싸구려 ならぬ 명품( 一級品、一流品 [名品] )だ。人生に変わりはないだろうものを。
티 Tシャツ
老いも若きも着ているTシャツ。いきなり略して 티 と言う。ただし俗に言う386世代御用達の言葉という、時代の匂いがぷんぷん香る言葉だ。次元は違うだろうが「パンタロン」的な感じすらする。ふつうに 티셔츠 で十分だ。
ただし「ヘソだしTシャツ」などは「 배꼽티 」のように使っている。
따르릉시계 目覚まし時計
年代によって同じものを指すのにも違う言葉を使うことがある。日本語ではズボンとパンツ、トレーナーとスウェット、スパゲティとパスタ、など。朝鮮語では、다방 と 커피숍(または 카페・까페 )あたりだろうか。
さて、懸案の目覚まし時計だが、一般に浸透して広く使われる語はやはり자명종 [自鳴鐘] である。「自ずから鳴る鐘」とは実にわかりやすいものの、漢字だけ見ると時計には思えない。暫定的に 자명종 の訳語を「目覚まし」としておく。「目覚まし」だって、この語からは時計かどうかはわからない。
目覚まし時計の呼び方が韓国で年代によって異なるかどうかは何とも言えない。言えないが、ここに 따르릉시계 という言い方がある。따르릉 とは、電話や自転車のベルが鳴る音の擬声語だ。リンリン、チリンチリンに相当しよう(いまどき自転車はともかくリンリンとなる電話は稀少であるが)。路面電車をチンチン電車と呼び慣わすのと似ている気がする。따르릉시계 もチンチン電車と同様、年代による分布の差はあまり無いのではないか。もし使われ方にばらつきがあるとするなら、地域によっては違うかもしれない。とりあえず 따르릉시계 の訳語は造語風に「リンリン時計」としてみる。
そしてまた目覚まし時計には 알람 という言い方もある。알람 시계 の後略された形であろうと思われる。
時計というものは不思議なもので、憎悪と親近感の対象となる。日用雑貨品で擬人化されるものの筆頭ではないか。おたまや包丁や文房具やタオルはなかなか擬人化しにくいのだ。朝鮮語に目覚まし時計を指す複数の言い方が混在しているところをみると、年代による違いもあろうことながら、朝っぱらからうるさく騒ぎ立てる目覚まし時計への愛憎半ばする心情がこめられているのかもしれない。ジリリリリリリ!などと朝からやかましく鳴らないで、따르르르르르르릉!と鳴ってくれれば、低血圧の人も柔らかく起きられるかもしれない。
성료 成功裡に閉幕、盛況の裡に終了
新聞雑誌などの報道を見ていると「XX전국대회(XX全国大会)성료」「특별△△기념공연(特別△△記念公演) 성료」「에너지자원□□전시회(エネルギー資源□□展示会) 성료」というふうに、何らかの催し物が成功裡に、あるいは盛況の裡に終了した、という記事を目にすることがある。
閑古鳥も鳴かず、催しの主旨に沿って良い感じで終わったというのは解るが、絶対に漢字語であるはずの 성료 、その漢字が今ひとつ不明だ。「盛了」か「成了」だろうと思い、 仕方ないので辞書を引いてみるが出ていない。よくあることである。どちらでも良さそうなのでしばらく放っておいた。
「東亜日報運動関係史資料」という無駄に大きな豪華本があり、言論圧殺に立ち向かう記者さんたちの連絡協議会とでもいうべき一連の活動の綿密な記録資料集だ。1970年代のものなので、そのほとんどは達筆な手書き文、所々に漢字も使われており、内容はともかくとして見て眺めるぶんには違和感はない。これをぱらぱらとめくっていたら「이번 行事는 盛了했다」という記述があった。ははあ「盛了」の方であったかと納得したので、小ネタながら紹介する次第。
しかし一例報告に過ぎないので、もしかしたら「成了」である可能性は捨てきれない。ここらへんがルーズで気楽だ。問い詰めないでほしいと思う。
아폴로 눈병 はやり目、流行性角結膜炎
結膜炎ですねえ、プールで感染したかな。毎年夏になると結膜炎だか角膜炎だかが流行っていたような気がする。プールから出た後は目をちゃんと洗いましょう、なんて言われたものだが関係あるのだろうか。
この、接触によって感染する目の疾病であるところの結膜炎ないしは角膜炎を、韓国では俗に「アポロ眼病」と呼び慣わす。アポロ宇宙船のアポロである。なぜここにアポロが出て来るかというと、アポロ11号が月面着陸に成功した1969年に大流行したことからだそうだ。当時、日本ではいろいろな人がアポロに便乗したりさせられたりする形でマスコミ上で大騒ぎを繰り広げたと仄聞する。韓国ではどうだったか寡聞にして知らないが、少なくとも目の病気に名前が冠せられる程度にはアポロが流行ったということだろう。
눈병 の発音は [ 눈뼝 ] のように 병 が濃音化する。눈 と 병 の合成語という意識が働くわけだ。詳しくは
◆合成語における平音の濃音化と 사이 시옷 を参照のこと。
また、俗語ではなく結膜炎 결막염 、角膜炎 각막염 というれっきとした漢字語としての病名も当然ある。こちらの発音も素敵だ。それぞれ [ 결망념 ] 、[ 강망념 ]となろう。結膜-炎、角膜-炎という合成語であるということになる。どこがどうなってそんな読みになるのと泣きたい方は
◆リエゾン2( [ㄴ] の挿入による鼻音化) を参照されたし。結膜炎の予防には役立たないが、結膜炎にかかってお医者さんにかかる時の役には立つ。
너구리 잡니? タヌキ捕まえるの?
喫煙者の方々におかれましては随分と肩身の狭いご時世で、お気持ちお察しいたします。古き時代のアメリカ映画などのようにモウモウたるタバコの煙にけぶる会議風景、などというものは文化遺産と申しましょうか、無形文化財などに指定して保護しないと早晩消えて無くなること間違いなしです。そのためには財源が必要ですが、これは当然タバコ代の大幅値上げが妥当でありましょう。
それはさておき、ドアを開けたら目の前も見えないくらい煙でモウモウの部屋に足を踏み入れた場合の穏やかな表現が「タヌキ捕まえるの? 너구리 잡니? 」です。タヌキだかアナグマだかムジナだか判然としませんが、そういった動物を穴から燻り出す時には松の葉っぱなどをモクモクと焚いて穴に煙を送り込むのだとか。タヌキだかアナグマだかムジナだかにしてみればいい迷惑なわけです。捕まえるべきタヌキだかアナグマだかムジナだかも少なくなった昨今では、煙とともに消え去る表現かもしれません。
タヌキのイメージは日本朝鮮とも概ね共通しているようですが、朝鮮のタヌキ類の方がいくらか賢いイメージがあるように見受けられます。韓国の絵本などで見るタヌキは、まず腹からして出てるわけではありません(腹が出ているのとクレヴァーさは関係ありませんが)。もう古ういお話ですが、韓国プロ野球の黎明期に在日韓国人ピッチャーが活躍しました。広島と巨人に在籍していた福士明夫選手です。朝鮮名 장명부 張明夫であるところの彼のあだ名は、この 너구리 でした。投球術や彼の言動が「老練、老獪、一筋縄ではいかない」ということからのあだ名であったわけですので、너구리 に対するイメージの一端を推して測ることができそうです。(福士投手のエピソードは関川夏央氏の『
海峡を越えたホームラン—祖国という名の異文化』に詳しく出ております)
また、インスタントうどん「너구리」はベストセラーですのでお召し上がりになった方もいらっしゃることでしょう。あっさりした中にコクとしっかりしたカラさがある味わい深いインスタント食品です。製造元は農心 농심 。
本稿の結論として、ここはひとつ、너구리マークのタバコでも発売すべきではと、こう強く主張したいと、こういうわけであります。その暁には、管理者は現在吸っている銘柄を替えるにやぶさかではありません。(管理者は2015年7月に断煙しました)
장군 王手
インド起源のチャトランガが西に伝わりチェス、東に伝わり中国の象棋となった。どうしたって中国の影響を避け得ず、それをかみ砕きつつ取り入れる朝鮮にも将棋がある。それが 장기 [ 将棋 ] 。パッと見は中国の象棋とそっくりだが、そこはそれ、かみ砕いてあるので若干のルールの違いはある。いろいろ違うが若干だ。
この 장기 で、王手をかける時の掛け声が、장군 。漢字は [ 将軍 ] となろうか。王手をかけるのは 장군을 부르다 と言う。王手をかけられて、ハイそうですかと黙っていてはゲームにならない。そこで王様の駒を逃がすなり合い駒するなりして防ぐ。これを 멍군을 부르다 または 장군을 받다 と言う。掛け声が 멍군 。
ところで、장군! はともかく、멍군! と実際に声を掛けるのをあまり見たことがない。二つ合わせて 장군멍군 、これは双方相譲らずいい勝負をしている時などの喩えでよく使われる。「ロッテ vs 三星 熱闘五時間 引き分け 롯데 vs 삼성 "장군멍군" 다섯 시간 무승부 」などスポーツ欄の見出しや、国際関係の駆け引きなんかの記事でよく見かける。きっつはっつ、丁々発止、虚々実々、秘術と力を尽くしての互いに譲らぬ攻防であるという、ある種の決まり文句だ。
ちなみに管理者の 장기 の腕前は 장군멍군 ならぬ 멍군멍군 くらいでまったくお話にならない。
닉 ハンドルネーム、ペンネーム
インターネット上で自分の実名で活動している人と、なんらかの別名(ハンドルネームなど)で活動している人はどちらが多いのだろう。多分後者ではないか。同じ人間でも使い分けをしていることもあろう。隠れたい隠したい恥ずかしいなどの理由も当然あるだろうが、それと同時に、あるいはそれに反してと言うべきか、こういう者でありますと自己主張するための名前ともなっているはずだ。ハンドルネームやペンネーム使用における心理分析はこの際おくとして、朝鮮語でのこの類の別名は 닉 ということがある。nickname 닉네임 の前半分だけの略語だ。何度も思うことながら、朝鮮語として咀嚼された外来語が、どうしてこういう略し方になるのか興味は尽きない。管理者は思わずニック・ニューサを思い出してしまった。
漢字語としての「別名」の朝鮮語読みである「 별명 」は別の意味で使われており、こちらがまさに「あだ名、愛称、ニックネーム」である。ハンドルネームとしての 닉 、ニックネームとしての 별명 ということで、ひとつ。
気をつけて見ているわけではないから断言も確言もできないが、ウェブ上では「 하얀 천사(白い天使)」「 딸기(いちご)」などの 닉 が散見されるのはすこぶるファンシーであり、一部の趣味傾向が日本と共有されているのを感じることがある。
자반 塩蔵品、ふりかけ
자반 とは辞書的には「干物、塩物、塩蔵した食品。[ 佐飯 ]と漢字を当てる」ということになっている。ごはんがススムくん(©味の素)的なしょっぱいもの全般を指すと見て良かろうかと思うが、さて、ごはんの上にかける「ふりかけ」も 자반 と言う。辞書には載っていない使われ方だ。この項で言いたいことはこれだけである。
フリカケなんかなくたって朝鮮には万能ごはんの友であるキムチがある。「キムチ味ふりかけ」なんてものは寡聞にして知らないが、もしあったら贅沢なんだかビンボくさいんだかわからなくて面白かろう。管理者は「岩海苔ふりかけ 돌김자반」が好みだ。
알바 アルバイト
アルバイト。日本は「バイト」、韓国は「アルバ 알바」。どうして省略する部分が違うのか。突き詰めれば面白い屁理屈も思い浮かぼう。コンビニ 편의점 の時給は4,000ウォン程度が相場のようだ。(2006年現在)
おミズ系のアルバイトを 미즈알바 というのも見かける。国語醇化運動という名の日本語→朝鮮語言い換え運動の道は未だ遠いと言わざるを得ない。
출시 発売、商品展開
漢字では「出市」。日本語とは感覚の違う漢字語の例として。
何と言うことはない漢字語だがなぜか学習者の使う韓日(朝日)辞典には載っていない。市場に出す、ということで企業が商品を発売していることを言う場合に普通に使われる。「XXが発売している△△ XX가 출시하고 있는 △△」の如し。漢字語は奥が深いなあと小学校で習う漢字を見て思う。
맞춤형 カスタムメイド、オーダーメイド
맞추다 という動詞の名詞形である 맞춤 。リズムや形や帳尻を合わせる、物と物をくっつける、正解を言い当てる、注文して誂える。「然るべき状態、個々の望みや好みに“合わせる”」というのが根底を貫く意味合いであろう。朝鮮語をハングルで綴る際の規範としての正書法 맞춤법 [ −−法 ] も、朝鮮語の発音と綴りの妥協点を見いだして互いの特性を損なうことなく、形態論的な観点から統合するのが目的なのであろうと理解すれば良いのでは。
さて、맞춤형 [ −−型 ] である。맞춤형 XX の形で実に多彩に生産的に使われている。「然るべき状態、個々の望みや好みに“合わせた”XX」ということで、XXの部分は何でもOKではないかと思えるくらいに幅広い。
고객 맞춤형 서비스 お客様の御要望に合わせたサービス、맞춤형 복지제도 一人一人に対応する福祉制度、맞춤형 교육 프로램 個別教育プログラムなど。検索エンジンとしては一人勝ち状態の Google に Personalized Home というのがあるが、これは맞춤형 홈페이지 。なるほどなあ。맞춤형 커튼 、맞춤형 엽서 とくれば、オーダーメイドで好きなデザインのカーテンやハガキを作ってくれるというもの。맞춤형 책상 ならば、天板や脚などを自由に組み合わせてオーダーできるタイプの机。昔、韓国のパーソナルコンピュータはスッペクを指定して組み立ててもらうという方式が多かったが、これも言わば 맞춤형 であろう(たいへんシンプルに컴퓨터 조립 と言っていたが)。甚だしくは맞춤형 면도기 などというものもあり、ひげ剃り、シェーバー([ 面刀器 ])をどうやってカスタマイズできるのかと思ったら、なんのことはなくて単にいろんな種類のひげ剃りがあるので選んでね、というだけのことである。
あんまりにも何にでもつく 맞춤형 。皆さまもオリジナルの 맞춤형 XXという表現をお作り頂けます。いや、ホントに何をつけても大抵成立するからこわいくらい。맞춤형 한국어 なんて、どう訳します?
대진운 組み合わせ、くじ運
複数チームの中から最強のチームを選ぶ方法にリーグ戦 리그전 やトーナメント 토너먼트 などという方法がある。どうしたって組み合わせの運不運によって勝ち負けに影響があるのは免れがたい。この際の組み合わせの運不運やくじ運を 대진운 [ 対陣運 ] と言う。대진 は辞書に載っているが 대진운 では載っていない。使い方はいたって普通で、대진운이 좋다 とか 나쁘다 とか、대진운 덕분에 이겼다 とか 졌다 とかのように使う。
リーグ戦やトーナメントの組み合わせ表は 대진표 で OK 。
대일밴드 バンドエイド
バンドエイドだかカットバンだかサビオだか、もうどうにかして。傷口保護テープの商標が一般名詞として通用しているこの状況、韓国では、大一化学工業 대일화학공업 の製品名 대일밴드 で一本化されているようである。もしかしたら他にも呼び名があるかも知れないが、日本のように地域によっての呼び方の違いはなさそうだ。대일밴드のシェアが断トツに大きいのであろう。「一回用絆創膏 일회용반창고 」という言い換えも存在するものの、まだまだ浸透しきっていない。
商標が一般名詞として通用している例としては、セロハンテープであるところのセロテープは 스캇치테이프 、鍵盤ハーモニカのピアニカまたはメロディオンが 멜로디언 というのもあり。
양은냄비 アルマイトの鍋
まずは鍋をご覧いただきたい。ただの鍋 냄비 である。左の鍋はなんとなく懐かしい色合い。表題の「アルマイト」というのはアルミニウムの表面に皮膜を作って錆びにくくしたもの、「洋銀 양은 」とは銅を主体とした亜鉛やニッケルとの合金だそうだ。アルマイトのことを朝鮮語では色合いは問わず一般に洋銀と呼び慣わしていると見てよかろうと思う。
インスタントラーメンと言えば何はなくともキムチと、この 양은냄비 である。率直に言ってビンボくさい、しかしてまた、この鍋で作ってこそ美味いという不思議な組み合わせだ。郷愁あふれるビンボくさい美味さなどというのは贅沢に過ぎないものの、その演出にはコツがある。一人分くらいの小振りの 양은냄비 で煮たラーメンを、丼には盛らず鍋の蓋を取り皿代わりにしてズルズルッと啜り込むことになっている。埃にまみれたイガグリ坊主が七輪にかけた鍋で煮えているインスタントラーメンを蓋にとって啜っている、なんていう場面を映画やドラマでご覧になったことがないだろうか。また、学校の近くにある高校生御用達みたいな煤けた食堂ではインスタントラーメンは取っ手のない雪平鍋もどきで供されることが多い。
韓国ではこの 양은냄비 、なかんずく黄銅色 누른색 のものの売れ行きが伸びている。お焦げ 누룽지 が作れるという便利なんだか逆行してるんだかもうわけがわからなくなっている炊飯器が存在することもあり、韓国もそういうビンボくささという名の郷愁を生活の彩りとして消費できてしまう社会になっているということだろう。
깡냉이 ポップコーン
映画の友、ポップコーン。まあ、ボリボリバリバリ、映画に限らないが韓国人はよく食べるなあ(個人差は当然あるにしても)。
辞書には 강냉이 = 옥수수 とそっけなく平音で載っている。玉蜀黍つまりトウモロコシ。ポップコーンという意味の記載はない。熱を加えてパン!と弾けさせたお菓子としてのポップコーンを俗にそのままトウモロコシと言っているわけだ。ストレートで良いと思う。表記としては平音の 강냉이 の方が一般的か。
강냉이( 깡냉이 )は全羅道の方言だそうで、方言が全国共通の一般名詞となったもの。奥が深いぞ全羅道。良い所なので是非お訪ねください。
코시안 Kosian
漉し餡ではないが発音は同じで通じるはず。
코리안 Korean 韓国人と 아시안 Asian アジア人の合成造語である。
日本と同様、韓国でも外国人労働者問題、外国人の不法滞在などが社会問題となっている。受け入れるべきか排除すべきかという論議になればまだしも話に発展もあると思うが、大方は無視と無知、無関心、それらの衣を被った差別構造が根底にあるというのもまったく同じである。中国や東南アジア出身の人を主に指して使われる「韓国内に居住する外国人も韓国社会の構成員である」という理念から作られたこの言葉は、どうも「外国人と韓国人の間に生まれたこども」という意味で定着していきそうな感じがする。「2004年度の農漁村の男性の婚姻件数の27%が国際結婚」という状況を踏まえて、今後この言葉が肯定的な使われ方をされるように願う。
詳しくは
코시안의 집 をご覧いただきたい。
단벌신사 着たきり雀
小ネタである。
お金がないのか信条なのか理由は問わず、いつも同じ服を着ている人のことを 단벌신사 と言う。
단벌 [ 単− ] とは「一張羅、唯一たった一個しかないのもの」のこと。단벌옷とも言う。なるほど、「一張羅紳士」か。女性の場合なら 단벌숙녀 とすれば応用できなくもない。
철인 삼종 경기 トライアスロン
分かり易い漢字語の例として。「鉄人三種競技」である。日本でもトライアスロンという呼称が普及しきるまでは「鉄人レース」と呼んでいた。一般的には 트라이애슬론 である。なんでもかんでも横文字で表すのも面白いが芸がなかろうとも思う。せっかくなので競技三種の朝鮮語も挙げておく。마라톤(または 달리기 )、수영、사이클(または 자전거타기 )。
아무개 씨 某氏
実名を出すと差し障りがある場合、例えば金さんなら姓の後に 아무개 씨 をつけて「 김 아무개 씨 金某氏」のようにして使う。「 김모씨 」と「某」をそのまま漢字音で使う方が主流だが。
아무 は「何も、誰も(何でも、誰でも)」で、否定語や「限定なし」の意味合いの語が後ろに続いて使われる。英語の any- に似ている。何もない 아무 것도 없다 、誰もいない 아무도 없어 、何でもいい 아무거나 괜찮다 、の如し。-개 は「物」を表す接尾辞。아무개 は、「ほんとは特定されているがとりあえず不特定としておくモノ」、ということになるかな。
「誰かさんは気楽でいいよねえ。人の気も知らないで」のように、あてこすったり、暗になじったり、付き合っている人に甘えたりする時は、누구 を不定的に使って「 누구는 좋겠다 」と言う。目の前にいる人から 누구 呼ばわりされるのも、人様から 아무개 扱いされるのも避けたいところだ。
ちなみに、文章の中に出て来る「XXさん XX 씨 」という表記は 누구누구 씨 と読むことが多い。뭐뭐 씨 と読む人もいる。ここらへんは日本語も同じ。
아리랑 볼 山なりの球、しょんべんカーブ
小さいお子さんが「パパ、いくよ!」かなんか可愛くさけんで投げる(イメージ先行の説明だがご理解頂けるかどうか)、あの山なりの軌道のボールのことをアリランボールと言う。少なくともプロの投手が投げる球ではない。
この 아리랑 という民謡は各地方毎に違った旋律と歌詞のまことに多くのヴァリエイションが存在しており、「山なりの、緩い」という喩えとして使われる「アリラン」は1920年代に編曲されたいわゆる新民謡、今いちばん一般的に聴かれる、ゆんわりと流れるようなメロディーの「アリラン」であろう。「密陽アリラン」ボールなんてのがもしあるならば、キレの良いクセ球という感じがする。これはプロの球だな。
変化球のカーブについては 아리랑 카브 というのもあり、これは尾籠でもうしわけないが、俗に日本で言う「しょんべんカーブ」となろう。排泄物を利用した言い回しの多彩さにおいて、朝鮮語は日本語の比ではなく実にさまざまに多くのものがあるが、ことボールに関しては日本の勝ちだな。いいじゃない、しょんべんカーブ。ああ何と高雅なるかな、아리랑 볼 。
멘트 アナウンス、コメント
元は英語の接尾辞 -ment であろうが、見ていると単独で使われる 멘트 は大きく二つの意味合いがあるようだ。
ひとつは、アナウンスメント。特に放送や式における司会進行役が番組進行にからんで何かの内容を告げるという原義に近い意味。真面目な場面でも、おちゃらけながらも使われる。さあ、では次いってみましょう、なんて台詞のことである。
もうひとつは、コメント。ないしはフレーズ。会話などで合間にはさみこむ気の利いた表現やフレーズを指す。ある種の諧謔、ダジャレなどまで含めたピリッとした警句など、といったところか。用例は多そうである。
しかし、なんでannouncement、comment の後半だけとって前半は略すかなあ。
물바다 水浸し
水浸しになる 물바다가 되다 と言う。바다(海)を持ってきたところがスケールがでかくて良いかな、と。道や部屋や、災害で地域一帯が水浸しになると使われるのが一般的である。また、否定的な意味で情報や商品があふれかえる時にも使う。
せっかくなので派生的に「〜だらけ、〜まみれ」という接尾辞は、〜 투성이。
埃まみれの顔 먼지 투성이 얼굴、血まみれの服 피투성이의 옷 。シンデレラ 신데렐라 なら灰だらけのお姫様で、さしづめ 재투성이 공주 かな。
どこを見回しても水だらけ、ああイヤになっちゃう、などという場合、冷蔵庫の中も買い置きをいれる戸棚の中も非常持ち出しのリュックの中も、どこもかしこもあるのは水だけ、なんていうことならば 물투성이 、ホースで勢いよく洗車して辺り一面どころかドアが開いていて車内までびしょ濡れになっちゃったというならやはり 물바다 であろう。
ちなみに通信簿というか成績表で「オール5」のことを「 물바다 성적표 」のように掛言葉的に表現したりもする。何がどう掛かっているか、お分かりですかな?(ヒント:「秀」が最高の評価)
땜질 ハンダ付け
땜 はスズと鉛の合金の「ハンダ」のこと。땜질 とは、ハンダで接合すること、また鍋などの鋳掛け仕事、衣服などの継ぎ当て、一部分だけ繕うこと。辞書にはこれくらいまでしか載っていない。
たいへん想像がしやすいが、この땜질 、「その場しのぎ、間に合わせの糊塗策」という文脈でよく使われる。「これ以上その場しのぎの彌縫策ではいけない 더 이상 땜질 처방은 안 된다 」「(プロ野球で)ローテーションの谷間の先発 땜질 선발 」など。ハンダのように使いでがありそうな表現だ。
느끼하다 油っこい、粘っこい、こってりしている
辞書には「食べ物などが油っこい、油っこい物を食べて胃がもたれる」という形容詞として載っている。
揚げパンやこってりしたクリームソースのパスタなど、うん、確かに。二回重ねて 느끼느끼하다 などとも使うし、擬態語であるので、느끼느끼 ネトネト、のように副詞的にもいける。
この 느끼하다 は、食べ物だけでなく人の様子にも使えてナイスだ。粘り着くような視線 느끼한 시선 と言うと、管理者とはほど遠い中年男性(中年男性に限らないが)のあの何とも言えない下心丸見えの笑い、となろうか。鍋物などに入れる鶏肉団子をボールの中でこねくり回して、ネトつく手でその出来映えの良さに台所で一人思わず漏らすニッタリ笑いも、느끼하다 の名に恥じまいと思う。
얼짱 美形、美人、美男
顔のいい人、美人、ハンサム、くらいの意味。얼굴 顔と 짱 の合成語。
各分野で活躍する女性をとりあげる際に「美人XX」などと頭に美人であるかどうかは問わず、その他者にない美しさを強調する意味で「美人」を冠する類の使われ方もする。「 배구얼짱 」というのは、韓国のバレーボールプレイヤーの中で最近(2005年秋現在)売り出し中の選手の惹句である。「
イケメン 킹카 」として紹介したものより、若い世代にとってはこの 얼짱 の方が馴染みやすいのではないか。この類の言葉は世代によって使うか使わないかの違いが大きそうだ。同様の考え方の語には、なぜか日本でも普及している語として「 몸짱 」がある。ガタイのいい人、がっしりしていてカッコいい人を指すが、相撲取りのことはこう言わないところから、これらの語の雰囲気を推して知るべきであろう。ちなみに 얼짱 、몸짱 ともに、男女両方に対して使われる。
さて、では「짱」とは何か。
1)漢字の「長」に由来する、2)日本語の愛称「〜ちゃん」に由来する、3)学生運動華やかなりし頃の火炎瓶と並ぶ主武器である、道路を叩き割って瓦礫にして投石した「 짱돌 」に由来する、など、はっきりしないというのが結論だ。意味合いとしては「最高、かなりいいもの」を意味するというのは間違いのないところで、出始めは単独で使われていて、2002年くらいから「 XX 짱 」のように冠が載るようになってきたということにされている。
この項、以下の新聞記事を参考にしました。「
짱이 짱 먹은 이유 !(한겨레신문 2004.5.22)」
비수기 オフシーズン
客商売なら波があるもの。旅行業界やデパートなどなど、かき入れ時にはここを先途と稼ぎに稼ぐわけで、その努力がいまひとつ実らないなあというオフシーズンが 비수기 である。「非需期」というありふれた漢字で構成されているのに辞書には見あたらない。おそらく 성수기 盛需期 からの派生語なのではないかしら。
「私は目下のところ非需期である」などと使ってみると面白いかもしれない。どう受けとめられるか、効果のほどは請け負いかねる。
낙바생 就職勝ち組
勝ち負けというニュアンスは弱い。「難関をくぐりぬけて就職を勝ち取った学生」くらいの意味。韓国も就職、たいへんである。
では 낙바생 とは何か。そのココロは「ラクダ 낙타 が針の穴 바늘구멍 を通り抜けるようにして就職した学生 학생 」である。キリスト教の聖書の中の有名なフレーズ、金持ちが天国に行くのよりラクダが針の穴を通るほうが易しいというもの。するとこの人たちは、少なくとも金持ちではないのだろう。
使えるか使えないか、今後も残る言葉か残らない言葉か、いまひとつ自信がないが、ラクダ
낙타 と針 바늘 と穴 구멍
、三つ覚えられるのでお得かな、ということで。
뭇매를 맞다 袋叩きに合う
寄ってたかってボコスカに殴り回されることを「たくさんの鞭に合う」と表現する。また、大勢の人間から轟々たる非難を浴びる場合にも使う。뭇 は「多数の」を表す接頭辞。他に뭇사람(たくさんの人)、뭇소리(群集の声)、뭇입(大勢の非難、噂)、뭇시선(大勢の視線、衆人環視)など。なぜか怖いような感じがしないでもない。
뭇매 と似ているが、뭇발길 となると「一人を多数で取り囲んで足蹴にすること、みんなで蹴りまくること」となる。뭇매 も 뭇발길 も、맞다 や 채이다(蹴られる)などの動詞と相性が良く「袋叩きに合う(袋叩きにされる)」「大勢に人間に囲まれて蹴られまくる」のような受け身の形でよく使われるのが不思議だ。ちなみに、「 뭇 발길 」と分かち書きすると「多くの足どり、足の先 → 人混み、雑踏」となる。分かち書きの便利さとイイ加減さに慣れないと、こういうのはわかりにくい。
원어민 ネイティヴスピーカー
ある言語環境で育ち民族や国籍を問わずその言語で優先的に思考し言語活動を行う者、母語話者、というほどの厳密性はなさそうだ。「日本人が日本語が上手いのは当たり前」のように、XX語のネイティヴスピーカー、なかんずく英語圏の人を指すことに力点がある使われ方をしている。つまり単に 원어민 と言えば、英語を話す人、的なぼんやりとした意味合いとなる。無論、독일어 원어민 ドイツ語話者のようにも使う。
それにしても「原語民」か。最初「原住民」かと思った。母語も母国語も、祖国も母国も、そんな細かいことは言いっこなし。それはまた別の論議がなされねばならない。
도장 / 도량 道場
漢字は面白い。字形、発音、意味の三つが漢字一字の持つ情報だと思うが、発音(読み、と言ってもいい)は時代や地域によって違う。もとがそうなんだもの、漢字を受け入れて日常使用している(表記に漢字を使うか否かはまた別問題だ)朝鮮や日本に、その漢字がいつの時代に、どの地域から伝わってきたのかによって、同じ漢字でも発音が複数混在してしまう。呉音とか漢音とか唐音とか言うのがそれだ。
剣道や柔道の道場なら 도장 、仏法を修行する場という意味なら 도량 というのも、使われる状況が違うから発音が違うと言うよりは、「場」という字が伝わってきた時期と経路が複数あると考えた方がいいのではないか。仏教で言う道場は「菩提道場」の略だそうで、菩提は 보리 と読む。「提」は提案、提出、提起などだったら 제 で、菩提なら 리 ということになる。
この手の漢字、けっこうあります。お調べになるのもまた一興。
몸집 体格、規模、なり
体が大きいとか小さいと言うなら単に몸이 크다 や 작다 で良さそうだし、それでいいのである。いいのであるが 몸 の後ろに 집 をつけることで、生き物だけでなく、いろんなものの大きさを表すことができるので、これは便利ではないか。
「 기업 인수를 통한 몸집 불리기 企業引き受けを通した業容拡大」といえば M&A ということになろう。業容 업용 とはとんと聞かないおそらくは和製漢語だし、規模 규모 という語でもいけるだろうが、몸집 を使った方が企業を買収して勢力を伸長させるという、大きさだけのことではない感じまで含まれる。もちろん「うちの子ったらナリばかり大きくて…… 얜 몸집만 크고……」と嘆く時も 몸 だけよりは 몸집 がナイスだ。
몸집 との相性は、불리다 増やす、부풀리다 膨らませる、などが良い。
쪽팔리다 恥ずかしい
あらやだっハズカシイ! などという感じだが、自分が人前で何かやってしまって赤面する際に 쪽팔리다 を使える。쪽 は「本などのページ」という意味もあり、想像だが「(表向きの)顔」が 팔리다「売れる」、すなわちみんなが見るからハズカシイということであろうか。語源はいざ知らず、人前であるにもかかわらず「好きならキスして」などとせがむ恋人に向かって「やだよ、はずかしいよ 싫어, 쪽팔려 」などとお使いください。
「恥ずかしい」には他にも부끄럽다、쑥스럽다、창피(猖披)하다、치사(恥事)하다など、いろいろあり。各々それぞれに濃淡がある。教科書的に最も一般的なのが 부끄럽다 だろうか。쑥스럽다 は照れくさいような面映ゆいような決まり悪い感じ、창피하다・치다하다 は物々しい漢字語の趣もあるが一方では「アラやだっ」と軽く使われる。映画館で映画を見ていて、いきなり男女のそういうシーンになった時、前の席の女子高校生(多分)二人組が間髪入れずに「 어머. 챙피!(母音ㅏ は ㅣ の前では往々にして ㅐ と発音される)」と小さいが鋭く叫んでいた。瞬間的なその反応にこちらが 쑥스러움 を感じた。
전구가 나가다 電球が切れる
電球のフィラメントの寿命が来て点かなくなった状態を「電球が出て行った 전구가 나갔다 」と過去形で言う。線が切れるという意味なら 끊어지다 もいけるが、나가다 は外に向かって出て行く、在るものがなくなる、離れる、という含みがあり、そこから「明かりが消える」という状況でも使う。정신 나가 버렸다.(精神が出て行ってしまった)と言えば、すなわち「何かに気をとられて頭の中がお留守になっている、気もそぞろ、上の空、頭ン中真っ白」のこと。
豆電球は 꼬마전구。電球を取り替える、は 갈아끼우다(갈다 替える、끼우다 はめる・差し込む)。
시비를 걸다 因縁をつける
시비 は「是非」、物事の理非曲直や善悪。それを相手に向かって問い「かける」ということで、どっちが正しいか白黒はっきりさせようじゃないの、と、とんでもないことをネタに言いがかりをつけて、ケンカをふっかけることを 시비를 걸다 と言う。
「 먼저 시비를 걸다 폭행을 당한 피해자에게도 40% 책임이 있다 」とは、先に自分から難癖をつけて、キレた相手に逆に殴られて負傷した場合は、殴られた被害者ではあるものの先に言いがかりをつけたということで、責任の40%があるというもの。
주걱턱 しゃくれたアゴ
주걱 はごはんをよそうシャモジ、転じてしゃくれたものの形容に使われる。턱 が顎なので、「しゃくれたアゴ」ということになろう。アントニオ猪木ほどではないが管理者も若干アゴが出ている方なので、この言葉を覚えることで、주걱 と 턱 の二語を覚えることができた。アゴもしゃくれてみるものである。
〜걸이 というと「(〜を、に)掛けること、(〜を、に)掛けるもの」という表現になる。では、턱걸이 は何かというと、顎を掛けること、すなわち「懸垂」である。목걸이(首飾り)や 귀걸이(耳飾り)からの連想で「よだれ掛け」と思った方はたいへん惜しい。よだれ掛けは 턱받이 と言う。試験などにスレスレ、カスカスに引っ掛かって合格することを 턱걸이로 입학( 입사 / 합격 )하다 のように使う。苦心の挙げ句ぎりぎりOKという感じが出ていて良い。
홀몸 独り身
홀は「単数、単独」を表す接頭辞。홀수なら「奇数」。
「 홀몸노인 独居老人( 독거노인 とも言う)」という用例が最も多く見られる。韓国でも日本と同様で一人暮らしの老人の増加が社会問題になっているが、年寄りをなめてはいけないので無邪気な善意はかえって失礼ではないか。なろうことなら立派な 홀몸노인 になりたいと思う。
結婚していない独身者 독신 のことも「 홀몸 独り者」と言うし、漢文口調で「単身敵地に……」のように言う場合も「 홀몸으로 ……」を使う。
「連れあいを亡くす」は 홀로 되다 。連れあいを亡くした男やもめは홀아비、女やもめなら홀어미 。아비・어미 はそれぞれ 아버지・어머니 が縮約された形。
쥐꼬리 雀の涙
雀の涙というと何が思い浮かぶだろう。給料? それをいっちゃあおしまいだが、朝鮮語で言うところのネズミ 쥐 の尻尾 꼬리 は日本語と同じく少ない報酬の代名詞でもあるが、お金のことばかりだけでなく、ものが少ないことにも使う。
「어휴, 쥐꼬리만큼 주고 돈만 비싸게 받아요?」と言えば「こんなにちょびっとしかないのに(ネズミの尻尾くらいくれて)、こんなに金とるのでありますか!?」と憤慨落胆していることになる。今や希少価値のある韓牛 한우 専門の高級焼肉店でこれを使うと面白かろうと思うが、どうか。
폭염 猛暑
「猛暑」と「暴炎 폭염 」どちらが暑いだろうか。どちらも暑いに決まっているが、朝鮮の方がおかしな湿度の高さがないぶんしのぎやすい。日陰に入れば不思議と涼味が感じられる。とは言え、暑いからこういう言葉もあるのだろう。
된더위 も参照のこと。
夏の暑さをしのぐこと、暑気払いは 여름나기 という。「暑さ対策アイディア大募集! 여름나기 아이디어 대모집!」というように使える。夏バテする、夏負けするのは 여름을 타다 。皆さんの夏本番、여름을 타지 마세요.
벼락부자 成金
ゴロゴロ鳴る雷 벼락 には「急にその場で仕上げること、にわか仕込み」の意味もある。벼락공부 なら「(試験勉強などの)一夜漬け」、벼락김치 なら「(キムチの)一夜漬け」のようにたいへん生産的だ。
金持ち 부자 [ 富者 ] に 벼락 がついて「成金、にわか金持ち」とはまことに言い得て妙であるが、歩兵が苦労の挙げ句に敵陣に進んで、と金に成るというのもまた捨てがたい日本の味。成金勝負は日朝引き分けとしたい。
가발 かつら
「仮髪」という漢字語である。
韓国の街を歩いている時、また韓国の週刊誌などをパラパラめくっている時、なぜかカツラの広告が目につく。「パパ、僕もハゲるの? 아빠, 나도 대머리가 돼?」と男の子が父親を見上げて、父は苦い顔、という広告が印象に残っている。대머리 とは禿頭のこと。
実は韓国は知る人ぞ知る隠れもないカツラ大国である。カツラの使用者が多いという意味ではなく、生産国輸出国としてその地位は高い。あるいは高かった。日本は輸入する方である。カツラ使用者の中には、人毛からなるカツラを最上とする好みの方も少なからずいらっしゃるとのこと。韓国はその人毛の供給、また仕上げの丁寧さ技術の確かさで、確実に日本の毛髪の悩みに応えてきた。という時代もあったというお話。
언론 言論
法では裁きにくいような、法の網をくぐっているような、そんな不当さを世に問うという意味で日本語と同様に 언론에 호소 (呼訴) 하다 という表現をする。マスコミ 매스컴 に訴えてやるという下世話な次元から、社会への問題提起や警鐘という固い文脈まで幅広く使われる。
언론 には「言論人」という言論に携わる人(というのもおかしいが)を指す使い方もあり、全国言論労働組合連盟 전국언론노동조합연맹 など、言論人に組合があるんだなあと思わされるが、これは新聞や出版関係の組織の労働組合だ。
도깨비불현상 人魂現象
なぜか霊魂は火の玉の形をとるのが好きらしく、朝鮮語ではオバケ 도깨비 の火 불 と言う。狐火と訳す向きもあろうが、つまりは墓場なんかに飛んでるのをよく見かける正体不明のアレだ。
ハングルをコンピュータで入力する時(いろいろな入力方式があるがここでは 두벌식 )、いったん終声 받침 の位置に表示された子音字が、次の母音字が入力された段階でヒョイとその母音字の初声の位置に移動する。このディスプレイ上の子音字の移動を、出たり消えたりの도깨비불になぞらえて、人魂現象 도깨비불현상 と言う。
例えば 아버지 と入力してみる。キータッチ自体はㅇ・ㅏ・ㅂ・ㅓ・ㅈ・ㅣ であるが、ディスプレイ上の表示は、ㅇ → 아 → 압 → 아버 → 아벚 → 아버지 となるであろう。ㅂ や ㅈ が移動するのがおわかりいただけると思う。全角文字の日本語では起きない、ハングル特有のものであろう。
もちろん自然現象(あるいは超常現象)としての人魂が観察されることも 도깨비불현상 と言うし、原因不明の不審火もやはり 도깨비불 である。実はこちらの方がメインの使われ方だ。
주먹구구 いいかげん、どんぶり勘定
指を立てたり折ったり、拳 주먹 でもって九九 구구법(九九法。略して 구구 ) の計算をする方法がある。日本では指折り数える時、親指、人差し指、中指……の順で指を折っていくはず。5で拳を握った形になって、6で小指を立てる。9は親指以外の指が四本立っている。朝鮮でもこれは同じ。さあ計算してみよう。8×7は? 56? そりゃそうだけど、暗算じゃなくて。
左手で8、右手で7を数えると、左手は指が三本立って、右手は指が二本立つ。立てている指の数 の合計が十の位になる。すなわち8×7=56なら、左手三本と右手二本を足して5が十の位。そして、左手で折っている指の数と右手で折っている数を掛けた数が一の位。折っている指は、左手で二本、右手で三本、二かける三で6。ほら、合わせて56。便利だなあ。
ただしこの주먹구구は掛け合わせる数が両方とも6以上でないと使えないし、6×6や6×7も若干の修正が要る。指の数が片手で五本だからということなわけだが、何かの理由で指が五本ない場合はどうなるか。四進法や三進法の주먹구구を開発できる可能性があるがこれは本題ではない。このように拳を使っての計算法は便利でないこともないが、きちんとしたものではないということから、テキトーに、なあなあに、まあこれくらいで良いだろう、というような意味で使われる。「杜撰な若年層失業対策 주먹구구 청년실업 대책 」「なあなあに解決する 주먹구구으로 해결하다 」など用例多数。
「通じるテキトー韓国語 통하는 주먹구구 한국어」などと心に呟けば、どんぶり勘定の大切さがかえって琴線に触れるような気さえする。
도깨비 여행 オバケ旅行、弾丸ツアー
上手い訳語を思いつかないが旅行業界では何らかの専門用語があるだろう。機内泊車中泊をからめての短期集中強行軍旅行をのことをオバケ 도깨비 の旅行 여행 と言う。「一泊三日! 東京観光 일박삼일! 토쿄여행 」というように、ちょうど韓国好きの人が金曜日の夜に発って月曜日の朝に帰る、というようなことを韓国でも好き者はやっている。
도깨비 は民話などによく登場するいたずら者の妖怪一般。ちょっとかわいらしいイメージもあり、絵本などでは一本ツノの小鬼の姿で描かれるのが多い。
새우잠 ちぢこまって眠る
仕事に疲れて職場の椅子やソファで眠ったことがおありの方も多かろう。ふとんに体を投げ出して大の字なりに眠るのとは違って、背中が丸まってちちぢこまった姿勢での眠り 잠 を海老 새우 の形に喩えた言い方。学生時代には往々にして誰かの家に集まって飲めもしない酒を飲んで酔った挙げ句みんなで雑魚寝なんてこともある。そんな雑魚寝もやはり「海老寝」と称する。
똥이 나오다 ボールペンのペン先にインクのダマが溜まる
太字書き用のボールペン 볼펜 であると湿度の関係か筆圧の関係かペン先 펜끝 にインクのダマができることがある。そんなボールペン今はない? いやいや、あるでしょう。あるはずです。朝鮮にはある。なぜならボールペンの先から糞 똥 が出て来るというお食事時の方には失礼な何とも直截な表現が朝鮮語には生きているゆえに。まったくもって言い得て妙。こういう朝鮮語なら馬の鞍と替えてもいい。ボールペンのペン先の 똥 をご覧になりたければ、韓国はMONAMI製 모나미 のボールペンをダースで買ってお試しあれ。ただし最近はシモの躾が行き届いたか迂闊に粗相などしないようになったとも聞く。
카무오 カメオ
cameo とは瑪瑙のことかと思っていたらそうではなくて、宝石に浮き彫りを施したものの総称なんだそうである。なるほどと思ったらそれが映画やドラマに出演 출연 するというので困っていたら、監督や出演者の知り合いがストーリーに関係ないような所でちらっと出演することをいうのだそうだ。そうだばかりで腰の引けた解説だが、映画用語である카무오 출연 、アジア有数の映画大国である韓国では一般的な用語で、新聞の芸能欄や映画評などで目にすることがままある。そんなこんなの映画の内幕 내막 を仄聞推測するのもファンの楽しみということなのでありましょう。日本では専門誌ではない一般紙で「カメオ出演」ってあんまり使わない言い方のような気もするけどなあ。
초읽기 秒読み
そのまま秒 초 と、読み 읽기 。芸がないが隙間の語彙ということで。
「秒読みに入る」も「 초읽기에 들어가다 」。どうもこの言い方も日本語からの流入くさいが、どうか。
식은 죽 먹기 冷えた粥を食う
いとも簡単なことの喩えである。アメリカのハードボイルド小説のように金がないから冷えたハンバーガーを食う、というのではない。「冷えたお粥 식은 죽 」はいかにも不味そうな気もするが、そりゃ食うのは簡単だ。いやいや、「朝飯前」に一仕事というこせつき加減より、冷えたお粥でも食う、そこにヴァイタリティを見い出さずばなるまい。本当か?
お粥とごはんは兄弟みたいなものということで、죽 と 밥 が対になった諺(ことわざ)속담 [ 俗談 ] がいくつかある。ちょっと挙げてみる。
・죽도 안 되고 밥도 안된다
粥にも飯にもならない。(どっちつかず)
・죽은 죽어도 못 먹고 밥은 바빠서 못 먹고
粥は死んでも食えないし飯は忙しくて食えないし(食事はいいから酒をくれ)
・죽이 끓는지 밥이 끓는지 모른다
粥が煮えるか飯が煮えるかわからない。(これからどうなるかわからない)
・죽이 되든 밥이 되든
粥になろうと飯になろうと(何がどうなっても、とにかく、ひとまず)
「죽이 풀려도 솥 안에 있다 粥が溶けくずれても釜の中にある」なんか、気が楽で良い。そのココロは「ひどいように見えても釜にのこってるんだから、そうたいしたことではない」。重湯も美味しいですしね。
문자를 보내다 メールする
写真でも音声でもなく、文字どおりそのまま文字 문자 を送るんである。
나중에 문자 보낼께. のようにお使いいただける。この言い回しは携帯電話で送るメールの場合ということになっているが、コンピュータ( PC 피시 )から送るメールの場合にも使おうと思えば使えるだろう。あまりに単純な表現なので逆に惹かれた。
親指ピコピコでもって友人知人とメールのやりとりをする人を 엄지족 親指族と称する。これは新聞の見出しなどで散見するものの実際に「あたしオヤユビ族なの」などと言うわけがない。言ってもいいがどこかシュールだ。何でもかんでも単語を覚えて使えばいいってものでもないのが素敵。
벙어리 미트 キャッチャーミット
ファーストミットも同様に、普通は単に 미트 でいい。벙어리 は口がきけない人のことを指すが、そこから「口をつぐんだ形のミット」ということで、ある種の俗語と言うより造語。
벙어리 を使った言葉では「 벙어리 장갑 ミトンの手袋」の方がずっとメジャーだ。極地で使用するゴツイ手袋もあるだろうが、벙어리 장갑 にはほのかな郷愁が感じられる。郷愁を誘っておいてなんだが、장갑 [ 掌匣 ] という漢字語であるのも併せてご記憶を。
いつも思うことながら、物品の名称に身体機能の不全を表す言葉を冠した表現はどうしたものだろう。日本語なら盲縞、朝鮮語ならこの 벙어리 XXなど。差別ではなく個性の区別という意味で、目が見えない口がきけないことをそれはそれで尊重するならば、これら 盲縞や 벙어리 XXなども許容範囲ではないか。差別の本質は言葉そのものにはないが、言葉で差別を表すこともできるところがミソだ。どうします?
효도 관광 親孝行観光
1989年に海外旅行が自由化されてから早十数年、国民所得も増えて、韓国人の旅行熱は今や世界中にその行動範囲を広げるに至っている。また国内旅行も相変わらず盛んだ。
そんな韓国の旅行会社の営業種目の中には海外旅行・国内旅行などと並んで「親孝行観光 효도 관광 」がきっちり明示されている。学校も出て職にも就いて、お父さんお母さんありがとう、と子供達が親に感謝を込めて旅費を負担し旅行をプレゼントするというもの。同じことはどこの国でもやりそうだが、このように名詞化された例は珍しい。
효도 は「孝道」、효도를 하다 / 다하다で「親孝行する / 孝行を尽くす」。表現としてはわかりやすい。
쌈짓돈 へそくり、いざという時のお金
쌈지돈 とも言う。쌈지 とはタバコ入れで、つまりタバコ銭のことだが、お父さんがお母さんに内緒で(または逆)こっそり貯めてある小遣い銭、という感じがする。男子たるもの、女子とて同じだが、いざという時の払いに困らないために金額の多寡や場所は違えども、肌身につけておく肌金または命金という意味合いのものをお持ちでしょう。
もう少しスケールが大きいのならば 비상금 非常金という言い方もある。国家財政や団体の臨時の支出(国債ではない)のための予備費や余力ぐらいの意味。ただ「母の日(父の日)プレゼント支援キャンペーン 어버이날 비상금 캠패인 」なんていう現金懸賞もあるので、使われ方は両者融通無碍。
팔자 八字
四柱推命はお好きだろうか。四本の柱で運命を推し量るということで中国産の占いであるが、四柱 사주 とは生まれた年・月・日・時を指す。
それぞれに十干(甲 갑 、乙 을 、丙 병 、丁 정 、戊 무 、己 기 、庚 경 、辛 신 、壬 임 、癸 계 )と
十二支(子 자 、丑 축 、寅 인 、卯 묘 、辰 진 、巳 사 、午 오 、未 미 、申 신 、酉 유 、戌 술 、亥 해 )の組み合わせで二字が割り当てられ、合計で八字 팔자 。ちなみに今年(2005年)は乙酉 을유 。生まれもったこの運命の字が良いだの悪いだのを以て、巡り合わせを嘆いたり喜んだりする。何か良からぬことに出合ってしまったら、아이고 내 팔자야 、と心に呟いて乗り切られんことを。
運が良いとか悪いとかの「運」は単純に「 운 」または「 운수 運数」という。「運の良い日( 운수 좋은 날 )」という玄鎮健(1900〜1943)のやるせない小説がある。
占い好きはどこにでもいるもので、韓国には「四柱カフェ 사주카페(または 사주까페)」というのもあるので、興味がある向きは是非どうぞ。珈琲と四柱推命をいっしょに楽しめるというコーヒーショップだが、よくわからない喩えが多くて運が良いのか悪いのかわからない時が多い。占いだからそれでいいとも言える。
학번 学番
年齢は大事なもので、何故大事かというと相手との距離の取り方に関わるから、その尋ね方もいろいろだ。
몇 살이에요?と直截なのもあれば、나이(연세)가 어떻게 되세요?と尊敬語を使ったり、띠 干支を尋ねるやり方も。
その中で学籍番号は何番か 몇 학번이세요? という何年度に大学に入ったかを尋ねる言い方は新しいものではなく、学歴社会の雰囲気がもろに出ている気もするが、高校から先の進学率が80%を越えた韓国では高学歴重視ではない逆の意味でのスタンダードになっているのかもしれない。答える時は 86(팔륙) 학번이요. と下二桁の数字棒読みでOK。大学行かない人の場合はどうするつもりか。
007가방 007カバン
공공칠 가방 と読む。
ショーン・コネリー 숀 코네리 主演の「닥터 노( Dr.No 邦題「ドクター・ノオ」)」または「007 위기일발(007 危機一髪 From Russia With Love 邦題「ロシアより愛を込めて」)」以来だとするともう四十年以上だから息の長い言葉である。007と言えばアタッシェケース。ジェイムス・ボンド 제임스 본드 の持ってるカバンということでたいへんベタながら007カバンとなった。辞書にも載っている立派な一般名詞である。
007、韓国でほんとうに流行ったんだなあ。「공・공・칠 、Bang!」と声をかけながらするゲームもあるし。
손이 맵다 手がからい
身体部位を使った慣用表現は面白い。同じ人間の体、なぜにここまで違う言い方をするか。思いもよらぬ着目もまた素敵だ。
語彙としては基本中の基本 손 と 맵다 、「叩かれると痛い手」という考え方である。掌でピシャリと相手の頬なり腕なり太股なりを叩く。スナップが利いていてさほど力も入っていないのに鋭くイタイッ、なんて時に「手がからい」と言う。キムチを漬けた後の手は辛い、大山倍達はゴッドハンドだ、という意味ではない。
답무일 お返事メール
返信 답장 [ 答状 ] と mail 무일 の組み合わせ。筆者が知らないだけで日本語でも同様の組み合わせはあるであろう。「メール友だち」が「メル友」となるように 답무일 も 답멜 となるもまた可なり。
답멜 늦어서 미안해요. のようにお使いください。
샌드위치 연휴 飛び石連休
休日の合間に出勤日や登校日が挟まっているわけで、あくまで休日がメインで挟まっているのが平日ということは、パンが休日でサンドイッチの具が平日なのかな。庭園にそれぞれ離して配置した飛び石とサンドイッチ、日朝連休勝負は引き分け 무승부 ということで。
ちなみに流れに石を配してそれをピョンピョン跳んで渡る橋は 징검다리 。飛び石連休のことを 징검다리 연휴 と言ったら受けたことがあった。「こんどの連休はサンドイッチだよね」と言う感じなわけである。実はこっちもよく使う表現だ。
쑥대밭으로 만들다 めちゃめちゃに壊す
ヨモギはその生える様から蓬髪 쑥대머리のようにモジャモジャ、クシャクシャの代名詞になっている。そのヨモギ畑のようにしてしまうとういうことで、台無しにしてしまうことや壊滅させることを 쑥대밭으로 만들다 というのだが、ヨモギが生い茂ったある種の活力ある風情というより、陰惨に荒れ果てた感じがする。家庭不和で家の中が 쑥대밭 になったり、なぜか象が乱入してきて丹誠込めた綺麗な花壇が 쑥대밭 になったり。
「荒れ果てる、荒廃する」は 쑥대밭이 되다 でOK。
아랫도리 下半身
下半身があれば上半身 윗도리 もある。双方ともに漢字語で表現すれば事足りるが、こんな時はどうだろう。
金大中前大統領に隠し子がどうのこうのという報道が最近韓国であるが(2005年4月)、金大中ほどの経歴の人が隠し子を持てるわけがなく知る人ぞ知る話であったようだ。故朴正煕大統領はこの件について報告を受けて「男子の下回り 아랫도리 のことをあげつらうのはよろしくないだろう」と報告を握りつぶしたとのこと。「下半身 하반신 」と言うと生々しすぎるということでしょうな。
민원 誓願、嘆願、陳情、相談
どこかしら官僚的なにおいのする言葉のような気もする。区役所 구청 の窓口や広報などでよく見かける。誓願、嘆願、陳情、相談などと羅列してみたが「民願」という語義がやっぱりジャストフィットで、市民の行政に関する相談や問い合わせ、各種手続きの処理申請という意味合いで使われている。인터넷 민원 というのも多く見られる。みなさんのご要望ご意見を承りますということでは感覚としては日本で流行の「すぐやる課」にもしかしたらいちばん近いかもしれないが、韓国の民の願いが本当にすぐ処理されるかどうかは、さて民願の窓口に問い合わせてみるとわかるのでは。
부득이 やむをえず
漢字で書くなら、というより漢文表現の「不得已」。漢字が性に合わんとおっしゃるならば、할 수 없이 のように言い換えも已むを得ない。
「不 불 」は、ㄷ / ㅅ / ㅈ で始まる漢字の前では「부」と読まれる。不可能 불가능 ・ 不良 불량 ・ 不幸 불행 などはそのまま 불 と読み、不動産 부동산 ・ 不実 부실 ・不注意 부주의 などは 부 と読む。心の片隅にお留め置きください。ただし「不の字」というように字そのものの説明の時はこのかぎりにあらずして「不字 불자 」という。ちなみに 불자 は、役に立たないものやロクデナシの意味もある。マル適マークの反対みたいなもの。
거북이운행 のろのろ運転
亀 거북이 の歩みのようにのろい運行 운행 。のろいのはやっぱりカメか。何かイソップ 이솝 くさい。
渋滞はアジアの大都市のお約束で、ソウルや釜山もその例に漏れない。交通放送 교통방송 で「 지금 이 시간 XX−XX 구간에서 차량들이 거북이운행을 하고 있습니다. 」などと言っているが、地名を知らないでみすみす交通渋滞に巻き込まれるのが旅行者の醍醐味である。道が混んでいて車がちっとも進まないのが止滞 지체、いわゆる渋滞が停滞 정체。
꽃샘추위 花冷え
三月から四月にかけて天気予報で必ず言う季語みたいになっている。大胆に決めつければ日本の春は桜 벚꽃、朝鮮の春は黄色のレンギョウ 개나리、ピンクのツツジ 진달래、白いモクレン 목련。鮮やかかつ文字どおり華やか。春の花がまさに咲かんとする頃、また盛りの頃の急な冷え込みが 꽃샘추위。
彩りのない冬は色とりどりで明るい春を羨みねたむ 시새우다(または 샘을 내다 )のである。花 꽃 が咲く頃の名残の冬のネタミ 샘 がもたらす寒さ 추위 ということで、꽃샘추위 と呼び慣わす。ソウル辺りの春の花の季節は三月下旬から四月初頭にかけてなので、東京近辺と比べるといくぶん早い。
어깨 暴力団、ヤクザ
このジャンルの言葉はムツかしい。知り合いもいないし。これがこうだと系統立てるのは面白そうだが。この 어깨 なんてのはどうも植民地期に日本語が入って以来のもののような気がするがどうだろう。肩で風切って歩く、なんてところからかしら。
暴力団とヤクザは違うという人もいるが、朝鮮語では組織暴力団 조직폭력단(または組織暴力輩 조직폭력패 )、略して組暴 조폭 。他にも 깡패 や 날라리 、건달 などという類語はあるが指す範囲は大幅に違う。そういえば映画「친구」で「俺たちは 깡패 じゃないだろ、건달 だ」というような台詞があった。以前このページに記載した「超爆 초폭 」はこの 조폭 の聞き間違いでしたので謹んでお詫びしつつ、削除いたしました。……けっこういいと思うんだが、超爆。お詫びに本で仕入れた俗語とその実例をひとつ。
『普段着の朝鮮語』(長璋吉 河出書房新社 1988年)にはいろんな話が載っていてとても面白いが、この筋の俗語もたくさん紹介していて、その中に 아다라시 というのがある。「新しい」ということで、なんだ、つまりヴァージンのことである。読んだ時はほんとにそんなこと言ってるのかなと思っていた。
旅行の折り清涼里 청량리 の珈琲専門店(と言うものの出て来るのはインスタントのマキシム 맥심 )で歩き疲れた足を休めていると後ろの席の 어깨 みたいな二人組の声高な話が耳に入ってきた。
下っ端の方が「 예? 아다라시라면 진짜 5000만원이요?」と言うのを聞いて、ああ使う人は使うんだなあと思いを新たにした次第。あれも朝鮮語、これも朝鮮語、ですな。
급물살 急展開
살は「流れ、勢い、その様子」。햇살なら「陽射し」、물살なら「水の流れ、水流」。その急 급 な流れに乗るということで、급물살을 타다 のように使う。何語でも情勢の変化を流れに喩えるのが不思議と言えば不思議。이 사이트도 급물살을 타나?
레미콘 生コン
Ready Mixed Concrete の略ですなわちレミコン。
コンクリート工場から現場へ、練られた状態で届けられる製品としての名称が生コン。生コンを運ぶグルグル回転するミキサーをお尻に載せたあの車は 트럭믹서、俗には 레미콘차 。
검사 숫자 check digit
何個も並んだ一連の数字 숫자 の一番最後の桁を何らかの計算式で算出して、照合する際の目安にする番号。あれ、ここは使える朝鮮語のコーナーだよね。
数は 수、字は 자、これで間違いないけれど、「X字」となる時の字は濃音で発音することになっている。
한자 [ 한짜 ]、글자 [ 글짜 ] など。数字もそのまま 수자 でよさそうだが 숫자 と 사이 시옷 を入れて表記するのがお約束。
ちなみに数字の「桁、位」は 자리 。「(実力などが)桁違いだ」なら 단수가 높다 または 단수가 틀리다 。
방폐장 放射性廃棄物処理場
人はどうして略したがるのだろう。ことにハングルのような表音文字で略されると一瞬何のことやらわからない時もある。放の방、廃の폐、場の장、文脈と漢字を知っていればそれでもわかるにはわかる。こういう小さいことが意外にもというか実は大事なはず。
예방 表敬訪問
さすが東方禮儀之邦 동방예의지방 。どこそこの国の誰それが他の国の元首などを訪問する時に使うが漢字は「礼訪」。久しぶりに日本語と漢字は同じでも使い方が違う例。
24 引っ越し
引っ越しは漢字語で「移徙」などと堅い話をするつもりはないのでご安心を。一目して一読すればおのずとお分かりいただけるはず。言わずもがなの 이사 ですね。電柱などに貼ってある「引っ越しは当店へ」の貼り紙の電話番号の下四桁には 2424 が多いような気がする。よくまあうまく番号とれるもんだなあ。
2182で「この仕事はやく!」なんていうのも見たことがある。お分かりかな?
봄맞이 春を迎える
発音も難しくないし良い語感の言葉。さあ言ってみましょう。봄맞이 。唇ちゃんと円くしましたか?
맞이は「〜を迎えること」という 맞다(合っている、当たる)から来た名詞。달맞이ならさしずめ「お月見」というところ。맞이하다 で動詞になって、100주년을 맞이했습니다. のように使える。
환절기 季節の変わり目
漢字語の多い朝鮮語、思わぬところで漢字が使われていたりいなかったり。「換節期」と小学生程度の漢字だがこの組み合わせは日本語の日常一般の感覚ではない。환절기에는 감기 조심하세요. などとお使いいただけます。
밑천 元手
「下 밑 の銭」。辞書には본전とある。밑 には「物事の基礎、本質」の意味合いもあるので納得の表現。おまけに音もミッチョンと可愛いと一部で評判だ。
밑 はいろいろと生産的で、例えば「おかず 반찬(飯饌)」につけて밑반찬 ならば、お代わり自由な多彩なおかず、あの類の食事の時にいろいろついてくるおかずのこと。
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【訂正と追加】
밑천 が正しい綴り。辞書にも載っている。밑 と 전 が合わさった言葉だが、間に [ ㅎ ] が入り込んでいるため 천 となる。同様の例として「雄」「雌」を表す接頭辞「 수 」「 암 」に平音で始まる語がつく場合が挙げられる。
ex. 雄鶏 수탉 雌鶏 암탉 オス 수컷 メス 암컷
판세 情勢、成り行き
판 は「場(ば)、状況」そのものを指し、세 は「勢」。『春香伝』などで有名な 판소리、大詰め・終局・土壇場なら 막판、などなど 판 は他の言葉との相性がいい。
お節介ながら 판세 の発音をきちんとしましょう。大概の日本語話者の 판세 は 팡세 に聞こえがちで、それはパスカルの『Pensées 瞑想録』ですぞ。文脈でわかると言われればそれまでですが。
포문을 열다 砲門を開く
これはやはりそのまま「砲門を開く」だな。景気よくぶっ放すわけである。「〜의 포문을 열다 〜の突破口を開く、口火を切る、突入する」のように使われることが多い。
単独で使うと「非難する」という意味にもなる。だから 비난의 포문을 열었다 というのもOK。
여권 与党内部
「与圏」。パスポートと同音だし、권 が [ 꿔ㄴ ] と濃音化するのも同じで、ユニコードでは 꿔 と ㄴ に分けてしか表示できないもどかしさも同じ。
使い古されているので気が引けるが「運動圏 운동권 」は物理の用語ではなく、学生運動や政治運動に関係のある人、の意味。
원점 原点、ふりだし
「原点に戻る 원점으로 되돌아가다 」などと普通に使うが、スポーツなどで同点になる時も使う。
「〜点」は[ 쩜 ] と濃音で発音される。終点 종점、長所 장점、短所 단점、視点(時点) 시점、日本でも韓国でも読み継がれている三浦綾子の『氷点 빙점』や、小数点の場合( 0.5 영 점 오)などなど。
笑点は朝鮮にないが、あればきっと濃い笑いになるはず。
함흥차사 行ったきり戻ってこない人、鉄砲玉、梨の礫
故事成語というと中国製が圧倒的に多いが、これは純国産。
咸鏡道 함경도 に咸興 함흥 という所がある。冷麺で有名。その咸興に出した使い、つまり「咸興差使」がいっかな戻ってこない。きっと冷麺の食い過ぎで腹でも下したんだろう、故に食い過ぎは良くない。というのであれば話は面白くなるが、ほんとうはもっとナマぐさい話である。
朝鮮 (1392〜1910) の太祖が李成桂、息子も多く王位継承争いは世の常とは言え、嫌気がさしたか憤慨したかソウルから北に遠く離れた咸興へ退いてしまった。何とか争い収まった後の三代定宗李芳遠が田舎に引っ込んだ父親を連れ戻そうと(国璽を持っていってしまったせいもあろうとものの本には書いてある)使いを出したが、父親はあるまいことかその使いを殺したり牢につないだりしてしまうので、ソウルには誰も戻ってこない。結局お坊さんの無学大師が説得に行って戻っては来たものの、その後気まずかっただろうなあ。
ということで、使いに出したきり戻ってこない人、問い合わせても何の答えも帰ってこないこととなった次第。
多少ずれるかも知れないが、話が出たきりで結局実現しなかった、という時にも使う。
ex. 변죽만 올려놓고 함흥차사였다. ( ほのめかしただけで結局なしになった )
사이비 偽〜、似非〜
似て非なるもの。似而非と而の字が入る。学者、宗教、新聞記者などの冠言葉につく例が散見されるのは日本語と同じ。
「疑似空間」という意味合いで「사이비 공간」のように使っているものもある。사이비と사이버(cyber)を掛けてるんでしょうな。
아랫목 上座
아랫목 は使える朝鮮語ならぬ使わなくなった朝鮮語になっているかも。席次などとは関係なく部屋の入口の方を上、入口から遠い方を下と捉える考え方があって、オンドル 온돌 の焚き口は入口からは遠い方にあるので「下の要所」のような言い方で、焚き口にいちばん近い暖かい所が上座となったものらしい。とはいえ、火を焚くオンドルなどとんと見かけない昨今の床暖房、どこが上座やら下座やら。
学生時代、管理者が韓国の親戚の家を訪ねた折り「 여기가 아랫목입니까? 」と聞いたところ、「 그래 거기가 아랫목이야 」と大笑いしながら答えてくれた。焚き口が無いんだから「焚き口に近い暖かい所」なんか無くて、全部暖かいのである。朝鮮語のできない遠来の親戚の若造を暖かくもてなしてくれたのがありがたかった。
붙박이장 クローゼット
つまりは部屋に作りつけの洋服ダンスのことを指すわけだが、動詞が二つ使われているのが気前が良くてよろしい。「付く 붙다 」と「打ち込む、突き立てる 박다 」もしくは「はまりこむ 박이다 」に 장(木偏に蔵。物を収納する家具)がくっついている。最近(2005年現在)の韓国の分譲マンション( 분양 아파트 )に増えてきている模様。
붙박이다 は「閉じこもる」という意味の動詞。拗ねて籠もるには手頃な所、かな。
누리꾼 netizen
インターネット利用者、と言ってしまうと簡単すぎるか。netizen も造語だが 누리꾼 も造語。「世界、この世 누리 」と「〜する人 꾼 」を合わせたもの。インターネットのことは「網 그물 」を使って 누리그물(世界の網)。最初見た時は누리다(楽しむ、享受する)から造ったのかと想像して、野次馬、かなと思った。ちなみに野次馬、見物人は 구경꾼 で、こちらは辞書にも載っている。この類の固有語への言い換えがえらく流行っているが果たして残るのかどうか。
폭설 大雪
いくら暖冬と言われる冬でも必ず聞く言葉が大雪。「大」もすごいが「暴雪 폭설」も圧力がある。いたって穏当に 큰눈 という言い方もあり。ニュースなどで「嶺東 ( 영동 ) 地方では 폭설 のおそれがあります」とよく出てくるのは道名では江原道 강원도 。
ちなみに雪が降ってカチカチに凍った道は 빙판길(氷板−)。そんな道では 체인 매고 運転なさってくださいね。
내가 찍었다! わたしが頂き!
当サイト管理者も『冬ソナ』にいささかの関わりがなくはないので、せっかくだからそこから一つ。
第一回でソウルの科学高(과학고。勉強できる子が行く高校)から転校してきた준상に目をつけた채린が言う台詞。찍다 は普通の入門書だと「(写真を)撮る」という例でしか出てこない。この場面、채린が준상の写真を撮ったというわけではもちろんない。
さてシャッターを押す時のことを思い出していただきましょう。찍다 は「押す、押しつける」などの意味合いの言葉。筆に墨をつける、ピリオドを打つ、ハンコを押す、派生して印刷する、など、なんらかの細長いもの(に限らないだろうが)を押しつけて跡をつけることを言う。カメラのシャッター然り、박솔미 扮するところの 오채린 も 준상 に「ツバつけた(予約の手付けを払ってハンコを捺印したから他のヤツ手を出すなってことかな)」ということでまた然り。
약방에 감초 薬部屋に甘草
薬用や甘味料としての甘草。薬を調製するには欠かせない大切なもの。ということで、1)欠かせないもの、大事なもの 2)何にでも口を突っ込む人、一言居士。
大手食品メーカー 농심(農心)の有名な「 약방에 감초, 농심 새우깡! 먹어도 먹어도 배부르지도 않아요!」は1)の意味でしょうな。もし「あなたってば薬部屋に甘草ね」なんて言われたら、どうします?
웰 빙 Well Being
さあ頑張って訳してみよう。「豊かな生活」「ゆとりの暮らし」「心の安らぎ」「ここに、ほんとうの貴方が」「思いやりに包まれた幸せ」「我人ともに三昧せん」などなど。以下順列組み合わせにより省略。皆さんもどうぞ。
あくせくしないで地に足をつけていこう、ということか。ちなみに有機栽培した野菜は「 유기농 야채 」という。鯨ウォッチングを呼び物にしてる韓国の自治体のサイトを見たことがある。
참을성 こらえ性
「 참을성이 있다 / 없다 」と日本語と同じように使う。「こらえる、耐える 참다 」の連体形 Ⅱ '-ㄹ に「性 성 」がついたもので、造語の仕方も同じ。성 は濃音(썽 )で発音する。
固有語 + 漢字の組み合わせは多い。「嫌気がさす 싫증이 나다」の 싫증 も「 싫다 」と「症 증」の組み合わせ。싫증 にも 참을성 を以て対したいものですなあ、ご同輩。
아이 쇼핑 ウィンドウショッピング
そうか、「 아이 eye 」ときたか。なるほどなあ。道をぶらつきながらのことに限らない言い方。
店員さんに「 뭘 찾으세요?」と近寄られたら、「 그냥 보고 있어요. 」と逃げて醍醐味あふれる 아이 쇼핑 をお楽しみください。
땡땡이를 치다 サボる
「 땡땡 」とは「キンコンカンコン、カランカラン」の鐘の音。授業終了を告げる鐘を自分で鳴らしてしまえばその日は晴れて自主休講。「 이 」は物や人を表す接尾辞。「鐘を叩く」を「カランコロンを叩く」と言うようなもの。
思うさま力いっぱい鐘を叩きたくなること、時々あります。
상궁 お局様
「局 つぼね」も「 상궁 尚宮」も宮廷内の上の方にいる女性。なるほど劫を経て隠然(ほんとは隠然としてない)として厳然たる影響力を持ちはじめるお方もなきにしもあらず。いい人もいるんだけどね。
독감 インフルエンザ
風邪が「 감기 感気」で、インフルエンザが「 독감 毒感」。毒々しさに実感が漂う。
ただし漢字で見るとそうなだけで、トッカム、なんて呟いてみると案外カワイイ語感だったりしていいかも、なんてのは日本語話者の勝手な感想。皆様御身御大事になされますよう。
길치 方向オンチ
すなわち「道痴」。ほんとにダメそうで、手を引いてあげたくなる。
「 치 痴」はいろんな言葉について生産的に使われる。ちなみに 몸치 は「踊りを踊れない人」。
ダメなものはダメ、と爽やかささえ漂う斬りっぷり。
꽃가루 알레르기 花粉症
カフン! などと気合いの入らないクシャミみたいなことは言わず堂々と「花の粉」、そのアレルギーである。
韓国も花粉症患者が増えたようで、大気汚染や何かの影響か、それとも昔は他の症状名だったのが花粉症にされたのか。鼻をかむ、という表現も捨てがたい味わいがあるが、콧물을 풀다(鼻水を解く)はスッキリしそうな実感がこもっていて鼻水勝負は日朝甲乙つけがたい。
낙하산 コネ入社、縁故採用
コネ入社、縁故採用とかけて落下傘と解く。そのココロはどちらもヒモつき。
どちらもヒモがないと急転直下真っ逆さま、その落ちるを遮るものとてなし。
백이 있다(back がある)という面白味のない言い方もある。
킹카 イケメン
昔風に言うなら「男前」。「 킹 」は「 King 」、「 카 」は「 card 」の頭文字。トラムプのカードの序列から。
並み居る男子のうち秀でて見目麗しき者を指す。いささか合コン( MT 엠티 )の席での品定めという感を免れない。類語に 에이카(Ace card)、女性の場合の 퀸카(Queen card)などあるが、킹카 の定着度が抜群。
컴맹 コンピュータ音痴
「 컴 」はcomputerの「 com 」、「 맹 」は「盲」の朝鮮語読み。
おおらかと見るか、無神経と見るか。さて、貴女貴君は如何? これに類する「〜 맹」というの、多いです。
옷이 날개다 馬子にも衣装
天駆ける大いなる翼。羽が生えたように見違えるほど、引き立って見える服とはどんな服か。
馬子が着る一張羅である。
アラ、おでかけ? なんて時にどうぞ。怒られても知りません。
발 뻗고 자다 枕を高くして眠る
枕が高いのと、足を伸ばすのと、どちらがゆったり眠れるか。
高い枕は首が疲れる、などと無理に考えてもしかたない。どちらも気持ち安らかな良い眠りである。心配事がなくなって心安らけき比喩にもこうした違いがある。
ちなみに伸ばすのは何故 다리 ではなく 발 なのかは不明。脚ではなく足先をうーんと遠くて広げ伸ばして、の意を含むのかしら。
게 눈 감추듯이 蟹が目を隠すように
蟹がその突き出た目をピコピコと素早くうごめかす。驚いているのか眩しいのか、はたまた目が痒いのか。
「蟹が目を隠すように」するのは、「食べ物をペロリとたいらげる」こと。『春香伝』にも出ています。
좀이 쑤시다 シミが疼く
退屈は罪悪である。はたまた退屈の純粋さを貴ぶ。いずれもなるほど一理あり。誰もが退屈の持つ形のない圧迫感を感じている証左か。
そのよってたつ圧迫感は、なんと「 좀 シミ(紙魚)」が疼いているせいであるとの由。
本の隙間にうごめくシミ。これが疼き出すと、人は無為に耐えられなくなるというのだから、心のヒダか、脳みそのシワにもシミが住んでいるということか。
언제 국수를 먹을 수 있나? いつ「麺」を食べることができる?
さてこそ麺好きな御仁とはさにあらず、婚礼時の振る舞い料理としての麺である故、「私はいつ麺を食べることができるか」すなわち「あなたはいつ私を結婚式に呼んでくれるのか、いつ結婚するのか」という問いかけにほかならない。
もちろん自分の不遇(乃至は幸運)をかこちつつこの台詞を呟くもまた一興。
국수 は蕎麦と言うよりうどんに近いものと知るべし。
이러쿵저러쿵 何だかんだ、ああだこうだ、あれこれ
こそあど言葉の体系が似ている朝鮮語と日本語。似ているだけに、その違いが際立つ。
「あれこれ、あっちこっち、あちこち」と日本語は「あ」から始まるが、이모저모、이리저리、이쪽저쪽、여기저기、朝鮮語は「 이(여 )」から。
왕새우 大海老
왕は「大、巨」という接頭辞。
店先に焼き台を出して目につくように売っている海老の鬼殻焼きみたいなのが 왕새우、当店自慢の特大餃子は 왕만두、好きな人もきらいな人もいる巨乳なら 왕가슴。
디카 デジカメ
디지털 카메라 の略語。
カメラねたなら「隠しカメラ、どっきりカメラ」몰래 카메라 の略語で 몰카 というのもずいぶん前からあり。
略語の多彩さは日本語も朝鮮語も同じ。自然に使う人と、敢えて使わない人がいるのも同じ。
맞장구를 치다 相槌を打つ
맞 は「互いに、一緒に」という接頭辞。
ああそう、ふうん、なるほどと言う時、日本語では鍛冶屋さんのトンテンカンテンの槌を、朝鮮語では伝統楽器の 장구(장고)を 打つ。
맞다 は「合っている」という動詞。
골다공증 骨粗鬆症
漢字では「骨多孔症」。
漢字は同じでも使い方が違う例の一つとして。
청년 실업 若年層の失業
若年層の失業、未就業状態が問題視されるのはいずこも同じ。
漢字では「青年失業」。同音でも「実業」ではない。漢字は同じでも使い方が違う例の一つとして。
미궁으로 빠지다 迷宮入りする
미궁 は「迷宮」で同じだが、動詞の 빠지다 はなかなか出てこない。
나잇살 中年太り
ずばり中年という意味ではないが「年相応に腹が出てきたりして体に肉がつくこと、その肉」のこと。
말밥 当然
さて発音してみよう。「ニンジン 당근 」と「当然 당연 」。似てますでしょ。似てると思い込もう。「お前そりゃ当たり前だろう。 너 그거 당연하지. 」と言う時、당연 の発音が 당근 に似通っていることから、馬のごはんということで「 말밥 」と洒落たもの。洒落てると思い込もう。